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創立20周年に際会して 観世流高知観世九皐会 平成22年〜25年度県能楽協会監事 冨田 哲郎
名簿で概観すると、順不同で平成24年観世流10団体168人(高知今井瓢月会、林涛会、伊野松門会、観遥会、杏聲園、高知九皐会、皐遥会、松風会、鳳翠会、眞砂会)。喜多流 9団体148人(高知粟谷会、高知喜香会、芸西謡曲会、翠諷会、田野謡楽会、長諷会、松
高知県能楽堂建設期成会(会長澤村良高さん)は募金を2,000万円目標に・平成5年10月20日県教育長室で募金1,648万円贈呈・知事からの感謝状受領。県が事業主体で60億あまり、平成5年3月15日までの2ケ年がかりで完成、翌11月3日の文化の日にオープン。
平成4年2月23日県文化ホール 高知観世九皐会10周年記念大会
森田様 1枚400字のつもりですが、かなり適当です。 画質は落としてありますが、御参考に別添レコーダーに入れてありますので、良ければ御採用のうえ、利用くださいませ。レコーダーは、事後・返送くださいませ。いつでもOKです。赤字は参考に書き込んだものです(印刷写真屋さんには手掛かりになり便利と存じます)。この原稿(word2007)も・このレコーダーに入っています。
高知県立能舞台の床は、設計では、米国産のスプルスとなっていた。能舞台の建設や土佐ヒノキに変更した経緯を、当時、木材振興課長としてご勤務の、樋口佳延さんの手記『ふるさとへのメッセー
平成7年 平成8年皐幽会・皐謡会(安芸市で)
平成8年皐幽会・皐謡会(安芸市で)
私は、松本楽翁師(芦屋で長く生活なされ自動車免許が第110番・現在でいえば宇宙飛行士並み)没後、同門の西川晴海さん・依光賢一郎さん等と御一緒に眞砂会の初代会主岡本眞雄師に師事、平成元年師命に随い高知九皐会での稽古が始まる。この頃・協会を介し会派を越えた交流・切磋琢磨が懐かしく、往時の写真を一部御披露する次第です。蛇足ながら、1993年から高知県ボランティア団体としての皐調会は謡曲の実技習熟と2カ月に1度の発表会・在日外国人への日本語能力の向上志向活動開始、2014年末活動と登録から撤退。
眞砂会の眞雄師 平成19年9月16日11より(高知県立美術館能楽堂)岡本眞雄師13回忌・真砂会創立60周年記念大会 番外仕舞 玉の段 観世喜正師 雨の段 弘田裕一師 藤戸 観世喜之師
西川晴海先生・依光賢一郎先生が自転車で山の端の拙宅においでて、うちの軽自動車で山上の稽古場に参上した。盆暮れには現金でなく必ず・物品を用意した
当時、眞砂会は須崎・久礼・新屋敷・第四小・公民館などの稽古場で80人程の御仲間がいた(社中全員そろって同席したことはなかったが)。私ども数人は本部付と称して、お稽古場(円行寺)での発表会後の懇親会の時には必ず先生お手刷りガリ版・青色字の歌集で、小学校唱歌等を御家族ぐるみで大合唱して意気を上げた。高知県音楽教育研究会(音研)会長であり・稽古場で師匠の指揮とピアノ伴奏でであった。発表会には黒色の蝶ネクタイ着用が仕来りの時期もあったが、舞の発表は和服であった。山上の稽古場は岡崎牧場の傍で、お隣の御家にはアマ無線のアンテナがあった。早く着くと麓(現在の湯川温泉あたり)から、坂道を連れ歩き登り着きながら謡う同朋達の「花咲かば」等の朗唱が届いてきたりしていた。お稽古や他会派の方々との合同会には、高知市内であれば、たとえば「地方公務員宿舎土佐寮」・「村の家会館」・「依岡歯科医院別宅2階」「雪渓寺大広間」・「寿司柳大広間」・「長浜の高橋病院別宅」・「長浜の葛目師宅」・「高知厚生病院別宅」などでも御世話様にあいなった。安芸市の長野歯科医院宅・東津野村の高橋医院宅・・・・にも度々に。
中央は高橋胤臣高知九皐会代表、右隣にお連れ合いの高橋純子杏聲園会主、左側は嘉之師
平成14杏聲園新年会
九皐会の他の会員の方が書いてあって・ダブるようでしたら削除願います。会名の由来です、詩経(小雅・鴻鴈之什)からです、説により多少の異同が見えますが、「鶴鳴(かくめい)」です。鶴九皐(かくきゅうこう)に鳴き 声野(や)に聞こゆ<聲天に聞こゆ> 魚潜みて(うお ひそみて)淵に在り<渚(しょ)に在り、或いは潜みて淵に在り> 楽しきかな彼の園は・・・山深い沢で鳴いても、その声は天にも聞こえるように身にまことあれば、目には見えなくてもおのずから形にあらわれるという意味なのだと伝えられています。
1998年高知市文化祭50周年記念誌より 囃子友の会 第10回高知県能楽大会(p90〜94)
同朋畏友には笛や鼓を習う方々もいらっしゃいました。が、私は此処で太鼓を教わりました。有難うございました。師匠御手作りの太鼓は大切に保存中です、作法に奏法・掛け声・粒の打ち方唱え方・撥の持ち方構え方等々滝にわたって習ったが・・・。今は挫折に果て・申し訳もなし。撥音のリズミカルな調子が心地よく耳元に漂う。感謝。イヤー天ッ。
―おわりです−適当に加加除OKですー森田様 1 枚400字のつもりですが、かなり適当です。画質は落としてありますが、御参考に別添レコーダーに入れてありますので、良ければ御採用のうえ、事後・返送くださいませ。いつでもOKです。赤字は参考に書き込んだものです(印刷写真屋さんには手掛かりになり便利と存じます)。この原稿(word2007)も・このレコーダーに入っています
2013.12.3 20周年記念行事準備委員会 記念誌の内容=年表・写真・関係者の談話等。年内にアンケート=@能楽堂ができるきっかけや経緯、A能楽堂発足の経緯、B記念能の思い出など、Cその他。アンケートの内容に沿い執筆ないし座談会の開催。記念祝賀会開催。
6/22 第1回編集委員会。7/13編集委員会 U、記念誌の概要 1、会長のあいさつ文 2、祝辞の文 3、座談会 4、翁学協会年表 5、その他 演能写真・演能や能楽堂に関する記事・能楽に関する会員からの寄稿文・能楽堂利用計画・編集後記 Vスケジュール:予算 編集平成26年7月〜平成26年12月末 印刷発注 平成27年1月 予算 20周年記念行事の予算90万円のなかから引き当てる。
2014.8.23原稿締め切りで記念誌編集委員森田康彦さんあて、この道に入った動機・謡歴・思い出・えぴそーど・恩師の事・本県能の歴史・能楽論等・・本文関連写真可依頼を戴く。
2014年7月13日編集委員会で「会員からの寄稿文掲載可」として原稿の依頼文発送。10月26日編集委員会まで2〜3度の編集委員会開催。10月26日委員会で寄稿文は掲載し難いと不掲載を決定。2014.12.不掲載の理由として「当初から原稿を会員に依頼する事は計画していませんでした・・・お詫びして玉稿返却・・・「ただし筆者の原稿中・能楽堂床材についての記事は能楽堂に関係しているので掲載したい・・・」の実行委員長名の通知に添えて自投稿原稿(写真等)領収<記憶では当時、6名ほどか・長いのは県内能楽史・次に長かったのが筆者、観世数名に宝生1名・・・>。上記編集委員会の経過の概要は、追っかけるように頂戴した12月31日付けの編集委員からのお便りにて分明。
2014.12.22、Facebookより。観世喜正師、薬師寺にて講演→ 能の奥深さ 学び体感…薬師寺月例まほろば塾 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI
ONLINE)
奈良市の薬師寺で2014年12月21日、「月例まほろば塾」(読売新聞社後援)が開かれた。塾長の山田
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