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おんちゃん会 第5頁
2007.11.23高越新聞 声 ひろば 「オンチャン会」の青春と土佐寮魂 その名を「土佐寮オンチャン会」と言う。武蔵野と三鷹の両市にまたがる井の頭公園に隣接して55年の歴史を重ねた。県内出身東京遊学性の自治組織「土佐寮」を卒寮したおBたちの集まりである。そこでは、先輩・同輩・後輩の別なく、互いに親愛と尊敬の念をこめて「だれそれのオンチャン」と呼び合う・「オンチャン!」だけでも決して仁義に反せず、これほど便利で心のこもった言葉もない。
その昔、誰もが紅顔の美少年だった時代。まさしくシュトラム・ウント・ドランク、智を磨きながらもあえて理性への反逆を挑んだ疾風怒濤の時代。互いの悪事とすねの傷を知ればこそ、真の連帯感と公平感とが養われた時代。金こそないが、若さと時間とやる気と可能性が満ちあふれていた時代。
しかし、少年老いやすく学なりがたし。土佐寮大学還俗学部を卒業して47年も生きてみると、まこと諸行無常の風が吹く。だが、土佐寮時代を思い起こせば、途端に人生はバラ色に輝き新たな勇気がわいてくる。そこで、この確かな事実に着眼し、米寿と古希迎えるオンチャン各位ni提言したい.
すなわち,自らの「青春」を定義し直し、「常に生きている自分を確認し続ける場面だ」ととらえれば、さらに百歳を射程にできるではないか。
つまれい、かつての井の頭池が江戸市街地を潤した神田上水の水源だったように、オンちゃん各位の見えざる資産(知識・経験・知恵・発想・ノウハウ)を融合して活力源泉に用いれば、「土佐の高知のジゲ興し」は県内のいたるところで芽を吹くであろう。とまれ、11月24日は年に一度の総会である。[市原樟夫69歳・経営学博士・中小企業診断士・高知市六泉寺町]
あけぼの (平成19年版) 1p 土佐寮に入って 東京大学1年 小槻賢志
・・・僕が何の不安も無く過ごせた理由。それは、やはり同郷愛であろう。・・夜になると高知に帰ってくることができる。いつまでたっても土佐弁が抜けないのを覗けば、これほど支えになることはない。今では自分の家と同様に感じている。また、違う大学の寮生と知り合う事が出来るのも大きい。・・もう一つの大事な面は、集団生活への順応である。・・幾多に経験するストレス。ゴミ当番や掃除当番など、集団での役割分担。そして規則を破るものへの懲戒。そういった寮生達自体での自治は、卒寮後きっと社会生活で生きて来るに違いない。・・・。
2p 土佐寮の生活 一橋大学1年 森田千裕 ・・1年生は一発芸で脱衣を強いられる当の噂に対しては少なからず恐怖心を感じた。・・いざ生活してみると以外に快適であった。・・周囲の迷惑にはならないように行動を選ばなけれな「ばならないし、1年は風呂塔版やゴミ当番もある。在る程度故人の自由は制限されてしまう。・・それにしても土佐寮での生活は非常に充実したものであるように思う。・・・。土佐寮の生活について 明治大学1年 横山 光 ・・・・・友人の話していたとおり、なかなか居心地のよいものがあり、むしろ徐々に寮の古さに愛着を感ずるようになってきた。東京では標準語が回りに溢れているが寮内では土佐弁がふつうに通用し、この言葉のために非常に安堵できる。自炊をする必要もないし寮でありながら規則にあまり縛られないのがとてもよい。上下関係も厳しくなく先輩mpいい人ばかりだ。・・一人暮らしとは違ったプラス面が多そうだ。マイナス面もあるとは思うがトータルで考えれば、4年間ここで大学生活を送ることを楽しんでゆけると思っている。
工事中
平成19年3月現在 おんちゃん会 名誉会長 土佐育英協会理事長 橋本大二郎 名誉顧問 柳井清澄(逝去)、大町行治 名誉幹事長 櫨原宏輔 会長 佐竹茂市 副会長 武田茂 竹内賀男、松本禎純、升久晋 幹事長 山地斉 副幹事長 真鍋豊志、桑尾和志 幹事 略 会計 桑尾和志 監事 葛目勝彦、岡村卓治
寺村直禧氏遺稿 回想50年より{土佐寮井の頭移転50周年記念誌」より一部転載 渋谷は若者の街、吉祥寺は学生の街と言われて久しい。JR中央線吉祥寺下車、井の頭公園)夜桜は東京の桜の名所中、随一)近く玉川上水の水尾との聞こえそうなところに三鷹寮はある。想起すれば、小笠原喜郎(経済安定本部会計課長)、石丸務(高知新聞東京支局長)、両理事と当時総務をしていた私が初めて下見にいったのは、昭和27年3月末頃で周囲をクヌギ、小ナラの林に囲まれ2階建ての豪邸が山門風の古い門の奥に在り、全敷地は確か、1千100坪近くあったと記憶している。<注;昭和27年当時の門は、乃木将軍設計>
当時は明治生命の社宅としてまた、役員会その他会場として使用されていた。元は、長州出身三浦観樹中将の別荘で、西南戦争で三浦将軍は、第3旅団司令長官、谷干城将軍は熊本鎮台司令長官として天皇に戦況を奏上し労を労われ、勅語を賜った戦友であり、この三浦邸に土佐寮が移転したことはそれなりの意味を持つものであろう。・・(借入金・移転登記・募金概要等略)・・去る、昭和26年寺尾豊先生(元参議院議員・郵政相)が全国区よりたった際、千束寮を無償提供された感謝の意味で、新橋駅前にて数回マイクを握って応援したこと、募金に賢出身の官民と輪図の有力者訪問・吉田首相から10万円、山地土佐太郎極洋捕鯨社長から首相につぐ高額の寄付金・新日本窒素(後年水俣病発生の会社)の吉岡先輩・・作家大原富枝女史5千円・・・。
最近の総会出席の変遷
S63.8.13 63人。H元8 55人。H2年8 45人。H3年7 60人。H4年10 55人。H5年10 42人。H6年11月 65人。H7年11 59人。H7.11 53人。H8.10 105人。H9.10 60人。H10.11 46人。H11.11 55人。H15,1 27人。H15.5井の頭50周年43人。H15.11 41人。H16人。11 41人。H17.11 41人。H19.3 42人。H19.11 おおりや開催予定(おんちゃん会TOP頁参照)。
おんちゃん会設立前後のメモ