013.7.23

    動く飛行機
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                                                   WUAC・OB・第5頁  アイコン   
                                           このBGMの曲が縁となり、2006年11月9日美川憲一さんは「長崎市観光名誉大使」第1号に選ばれ、依頼状をうけとります。曲は失恋した女性が長崎を訪れ、自分を見つめなおす内容。
                  
                             小野 梓 など





2014.Feb 梓会 会報 第6号 校友北岡顕史氏のご厚意により入手し得し資料なり、謝意を表し御芳名を記す
会報編集委員会=宿毛市企画課
 P1 「坂本家四代」交易財団法人坂本報效会理事長 坂本嘉廣 ・・・宿毛には坂本図書館という、嘉治馬が造った図書館がありました。嘉治馬が出版という仕事をするうちに、「自分の故郷には図書館がない。知識をひろめるためには学生には図書館が必要だ」と気付き・・・成し遂げたそうです。・・・そして、恩人小野梓先生のお眠りいなる東福院の復興の寄進、松田川の橋の建立、岩村家野』御屋敷を引き受けたのちに市に寄贈。天満宮の建立、父守正の県立宿毛高校設立のための援助等・・・。

P4 平成25年3月3日 第11回梓立祭 前列左から2番目奥島考康氏、4番目坂本嘉廣氏、5番目小野雄二氏前列右から3番目萩原敏孝氏、後列左から4番目竹内明氏

2007.2.4WUACからのメールより
ご子弟、甥姪の方で現在、大学3年生でエアライン・パイロット に若干でも興味のある場合は下記のH/Pを開いて募集要領をご覧下さい。 JAL, ANAはここ1〜2ヶ月が受験のチャンスです。 ベテラン・パイロットの 大量引退期を迎え、両社とも一人でも多くの優秀なパイロットを必要として います。

航空免許の身体検査国際基準、特に「眼の基準」が緩和されたことに伴い、 今まで高かったハ−ドルが リーゾナブルになりました。 (裸眼の視力制限がなくなり,矯正視力1.0以上で良いなど)
乗り物の運転が好きで、 「空を愛する者」は、是非この機会にエアライン・ パイロットの道を選択肢のひとつに考える事をアドバイス下さる様に
お願い申し上げます。

JAL採用情報:  http://www.jal.com/ja/saiyo/apply/pilot.html
ANA採用情報: http://www.ana.co.jp/recruit/unkou/form.html

 創立125周年記念式典 10月21日(2007年10月20日〜21日稲門祭)、新・大隈行動派外壁タイル約19万枚をデザインはそそままに新しく張替え。

早稲田大学第二世紀宣言 2007年の創立125周年が第2の建学 学問の独立 ⇒ 独創的な先端研究への挑戦  学問の活用 ⇒ 全学の生涯学習機関化(門のない大学として、あらゆる「世代」と「地域」に開く)  模範国民の造就 ⇒ 地球市民の育成 アジア太平洋域における”知”の共創  グローカル・ユニバーシティ実現のため 募金目標 200億円 1口1万円 2008年3月31日まで

2014.10.25高知新聞
 早大で宿毛の魅力PR・・・早稲田大学の学生団体「すくすく宿毛プロジェクト」・・・同大のイベント稲門祭で特産品を売り出した。「焼き立てのキビナゴ」、いかがですか!・・代表は松村和桂菜さん(21)埼玉県出身。宿毛出身者は河原愛さん(20・・・。

2007.3.31高知新聞 早大から水車の贈り物 宿毛市の美化団体・からくり加え人気呼ぶ
早稲田大学と奥島康孝・前総長が、このほど、宿毛市街地の美化に取り組む「コイと水車の会」に水車2基を寄贈した。漁師とコイ、猫の人形が水の力で動く「からくり水車」で、同市中心部の「あじさい街道」沿いの農業用水路に設置。散策する人々に好評だ。(4段・うち2段が写真)、10年ほど前から、松田川から同市宿毛にかけての水路約1.5km区間に水車を設置する運動を展開。今回の寄贈で30基となった。・・今年は8月に早大の125周年行事が同市で開かれる予定。・・猫がコイを追いかけ、漁師がコイを追いかける様子を表現。水音を立てて回る水車に合わせ、人形がゆっくりと動く仕組みになっている。・・。

高知県宿毛市で「梓立祭(しりつさい)」早稲田大学建学の母(父は大隈) 小野梓(宿毛市出身の法学者1852〜1886、生誕の2月20日をしりつさいと銘うって、墓参りをした。功績を顕彰する「梓会」を発足させた。梓会の名誉会長は奥島前総長。今後は同大学との連携を深めていく方針で、生家跡の記念公園整備を進めており、昨年2002年同大学からの寄付金を活用し、梓の胸像も設置した。墓は桜町の東福院。小中学生から募集した記念作文・絵画コンクールの入賞者を表彰。同会は、学生の教育実習など早稲田との連携を深めていきたいとしている。。2003.2.21高新、7段・墓前に手をあわせる前総長ら5人ほどの写真入。

2013.7.23高知新聞
 地元高校生と同大学の学生グループ「早稲田大学すすすく宿毛プロジェクト」が奮闘している。・・・学生有志が5年前(08年12月)に発足させ、同市をたびたび訪れては住民交流や貢献活動を展開。・・・農業漁業者と交流・・・現在のメンバーは、リーダーで3年生の石原光忝(20)埼玉県=さんら8人。今年5月には宿毛高校の2・3年生も参加する「宿毛湾ワークショップ」を発足・・・。

2011.3.5高知新聞 ・・あす宿毛市で「梓立祭」同市中央2丁目の宿毛文教センター 早大応援部各地OB30人と片島中の吹奏楽部との合奏(紺碧の空」「恋のバカンス」など4曲)も企画 OBは約10曲の応援かも披露 同祭は午後3時から、演奏会は同4時半ごろから 問い合わせは宿毛市企画課 

2010.3.6高知新聞 宿毛(すくも)の偉人 絵はがきに 小野梓ら1000セット 住民有志や早稲田関係者でつくる「梓会」(浜田俊久会長)・・吉田茂・小野梓・竹内明太郎・後藤環爾・伊賀氏広・坂本嘉治馬の8人 子孫や同市から写真の提供を受け、坂本嘉治馬が創設した書店「冨山房」の協力を得て制作・・小野梓の誕生日の2月20日に1セット800円で発売。宿毛駅の産直市「与力」0880−63−0077でも申し込める・・。梓立祭は7日・宿毛文教センター、2008年から開いており8回目、伊賀氏広の孫、伊賀朗氏の記念公園もある・・。
2010.3.14高知新聞 伊賀氏広らを顕彰「梓立祭」初の国産飛行機「伊賀式舞鶴号」を製作し「飛行機男爵」とたたえられた伊賀氏広一代記と題した記念講演・・約150人参加・・。

  レンガ色に統一された美しい小野梓記念館完成 2005年2月10日、地上4階地下2階、主に大学院法務研究科が利用;地下2階に「7号館から演劇にも利用できる小野記念講堂」が移転。小野梓像も地下1階の吹き抜けになっている中庭に移転。記念講堂こけら落としは当日、「舞台開き」と「柿落とし記念講演」開催、「舞台開き」では森重久彌氏らの祝辞、「記念講演」では能・狂言が上演。

   
 < 楠は宿毛市の市木 >

2007.8.4・5早大創立125周年記念「早稲田フェスタin宿毛」講演会・英語教室・スポーツラリー・運動講座等


2009年.3月1日に「しりつ祭」同市高砂の総合社会福祉センターで開催、映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」も上映、早大前総長で日本高野連の奥島孝康会長来高。

2005.3.10高新 梓立祭 9日開催・建設機械「コマツ」の会長が同市出身の創業者竹内明太郎について講演。「冨山房」の創業者の同市出身の坂本嘉治馬をテーマにした小中学生の作文などの発表。土佐くろしお鉄道の東宿毛駅の愛称を「早稲田・梓駅」とすることも発表された。

小野梓記念公園が完成(2003.5.23高新。写真入・5段) 梓会の会員など約50人出席  早大寄贈クスノキを植樹(大隈庭園から大隈が自宅で育て、移植したというクスノキの苗木4本)。同大学は昨年、生誕150年を記念し、宿毛市に(同市商店街にある)生家跡地の購入費用など約2,300万円と小野の胸像を寄付。同市は、トイレ・ベンチなどを設置して完成したもの。
第2回梓立祭 2004.3.10日 臼井克彦総長は、同市出身で早大理工学部や高知工業高校の創設に尽力した竹内明太郎について講演する(問い合わせは梓会0880・63・2618)竹内明太郎(1860〜1928)は吉田茂元首相の実兄、父の竹内綱とともに高知工業高校を創立したほか、建設機械大手「コマツ」の創業者。当時、明太郎は工業学校をつくるため教員を養成しようと欧米へ人材を派遣していたが、相談をうけて人材をそっくり東京専門学校へ譲ったという。2004.3.11高新。小野梓公園の隣接地購入費、早大が、2,000万円寄付;地元の拡張要求を受け決定・現公園北側の旧高知銀行宿毛支店の跡地の購入費の全額を負担することを、10月中に正式決定する見込み。24日同市の市制50周年記念表彰の祝賀会で奥島前総長が報告---2004.9.26高新。
第4回梓立祭 今年(2006.2.20)は大江卓(マリア・ルーズ号)に光を当てた。中国大使館2地う書記官出席。大江から大隈への手紙も紹介。
第5回梓立祭・2007.3.10
前総長で学事顧問の奥島孝康氏講演、梓をテーマとした作文・小論文コンクール(509人応募)入賞者14名表彰、竹内明太郎の胸像をコマツが公園に設立

「早稲田大学建学の母」と称せられる宿毛市出身の小野梓を顕彰しようと、同市の有志が切手を製作。2004.11.4から土佐くろしお鉄道宿毛駅などで販売を始めた。小野梓の親族の了解を得て企画。日本郵政公社が行っている。「写真付き切手作成サービス」で、80円切手10枚組の切手を100シート作った。1シート2,000円。同駅や宿毛市商工観光課(08880・63・1119)で販売している。


小野梓 土州宿毛の郷生れ、17歳の冬軽挌武士の士族籍を(他家に養子にゆくという理由で)脱して平民に。後年、薩長が郷閥により、政治を壟断する弊害をにがにがしく思っていた梓は自由党(土佐人主体)への入党を拒む。生涯の理想として、「国権の制定」「学問の独立」「良書の普及」を掲げる。国権の制定は、明治15年(1882)4月16日結党の立憲改進党の誕生という形で実現(明治14年の政変で下野した大隈重信の「智嚢」「股肱」となり新党樹立の中心人物;支えたのは、高田早苗・市島謙吉など「鴎渡会」のメンバー)。「学問の独立」は東京専門学校(後の早稲田大学)の創立。「昼は蝗、夜は梟の棲家であった早稲田々圃には、立憲政治にあこがれ、自主独立を慕う青年論客があつまった」と言う。
肺結核のため、明治19(1886)年、神田の自宅で没。33歳10カ月(35歳か?)。
小野の死により、中断した東洋館書店は宿毛から出て東洋館で働いていた坂本嘉治馬が梓の妻の兄・小野義真から借用した200円を資金とし「冨山房」として再開・継承された。(しもたや風で看板が普通のように小さい冨山房を「とやまふさ」と読み、小野義真の妾宅であろうと噂したという)
小野記念講堂は、大隈重信銅像のたつ正面右手の7号館校舎のなかにある。大隈は小野の死を「身を犠牲にした殉教者」とたたえ、「両腕を取られたよりも悲しい」と嘆いたと言う。2000.12.28高新
東京の中の土佐より

小野梓(1852〜1886)は、明治4(1871)年、米国留学して法学を研究。6年、大蔵省の官費留学生として渡英、銀行と理財材をを調査するかたわら、法学の研究を続けた。9年、「羅馬律要」を著して認められ司法省に勤務。
梓には多くの論文・著書があるが、彼の<憲法私案>には、「大日本を保有するの全権は大日本国人共同して之を有し、天皇・国会相依て之を維持すべし」とある--漢字節減論---澤村榮一先生の英語と日本語のはざまで44;2004.9.1高新より引用
幼少時に「世界の中の日本人」たることを自任した儒学者酒井南嶺に薫陶を受けた。明治7年英国留学から帰国した小野は、馬場辰猪らと組織した日本学生会をモデルに「共存同衆」を結成し翌年1月「共存雑誌」を創刊した。「明治14年の政変」後、大隈重信とともに立憲改進党を組織---主著は「国権汎論」。

明治維新ら間もなく、讒謗率という8条の法律が布告される。小野梓らの提案がもとになった。日本で最初の名誉毀損に関する独立法(個人の名誉保護の立法)。同時に布告された新聞紙条例とともに、新聞を弾圧する道具として使われ、志と異なる結果であった。

2006年:6月17日から小野梓公園で神前結婚式1組を募集<すくも青年会議所・宿毛市または大月町・三原村在住の方、衣装・ヘアメーク・記念写真代を会議所負担>問い合わせ:0880・63・3484


2007.1.17高新 コマツ(建設機械メーカー・本社東京)は、創立者の竹内明太郎の胸像を小野梓公園に寄贈
明太郎は衆議院議員・議長の竹内綱の長男・吉田茂首相の実兄・大正10年に小松製作所を独立させた。桜の苗木を松田川の堤防に植樹・早大理学部の創設に尽力したこともあり、小野梓記念公園に設置される。


2007.8.9高知新聞 宿毛湾に艦載水上機 昭和初期から豊後水道一帯を防衛する旧日本海軍の軍事拠点の位置づけられ、「大和」などさまざまな戦艦が寄港・・「アタゴ(愛宕)」「タカオ(高雄)」など写真宿毛歴史館蔵。昭和18年宿毛航空隊設置200人、波の状態が訓練に向かず1年以内に鹿児島に移設。その後は、「震洋」「回天」など第八特攻隊司令部が置かれた・・現在も滑走台とみられるスロープが海面へと延び、漁港近くには機体を誘導する進入灯のコンクリートはしらの跡、係留する花崗岩製のアンカー・鉄製のリングが残り、当時をしのばせている。

    熱気球


浜口庫之助 2007.4.17高知新聞 平成2年73歳で死亡 宿毛出身 人生いろいろ 黄色いさくらんぼ 夕日が泣いている 夜霧よ今夜も有難う 夕日が泣いている 空に太陽がある限り 花と小父さん バラが咲いた 恋の町札幌 涙くんさよなら 
「黄色いさくらんぼ」昭和34年夏スリーキャッツの歌で発売 若い娘は<うっふん> お色気ありそで<ウッフン> なさそで<ウッフン>ほらほら黄色いさくらんぼーー
軽妙なリズムで若い書生のお色気を歌った。この<ウッフン>”NHK”ではセクシーすぎるとということで放送禁止になった。・・僕は泣いちっち(S34)、粋な別れ・・

   2002.8.8神奈川航空少年団の一行27人が高知空港を見学「野鳥が多い竜巻は・年に1〜2回」の説明をうけた、合宿のため5日に来高し最終日に空港見学したもの。

「半藤一利さんの21世紀への伝言」:いま、原文の手元に無く、記憶による;昭和20年、外国語のスポーツを止めよとの、通達で、止めようとなったところを、監督は、挑戦されて応ぜぬは不甲斐ないとして、神宮ダイアモンドで最後のベースボール。延長戦になり、応援合戦となり、敵味方無く、KO,Wasedaの校歌を歌ったという。


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