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土佐の紙  count fm 2010.3.10 カウンター.com アクセスカウンター

2016.1.22 高知新聞 夢の断熱材 DEX(デックス)ペーパー 土佐市広瀬製紙エクセニア工場 乾電池用セパレータ(絶縁紙)・超薄型不織紙製作 2014年神奈川の資材会社より厚さ1mm以下の断熱材を造って女子糸の依頼 現在0.2mm〜-0.1mmまで対応できる 高知県地場産業大正受賞


2015.11.27高知新聞 東京港区「アジア会館」のエントランス 「光の壁」 いの町の神谷のてすき職人、濱田洋直さん(38)・治さん(36)兄弟による手法:土佐典具帳紙に、人間国宝の祖父幸雄さん(84)の後を継ぐ兄弟。色の深みや光の奥行き感を出すため、原料の楮に事前に色を仕込む「先染め」と、和紙の模様づけに用いられる「落水」の技法を組み合わせた。
楮を紫紺や深緑ですき、先染めした原料を3層に重ねる。その上に、落水の専用装置で散水し、「水の表面を彫る」(同)。表面にクレーター状のへこみができ、水滴の強弱で多様な形と、大きさ深さが生まれる。
その裏側から光を当てる事で、満点の星空の様な造形が浮かび上がる。・・・・。


2014.11.28高知新聞和紙 無形遺産に登録 ユネスコ決定 日本の無形文化遺産は能楽や歌舞伎や雅楽など22件、・・・従来の「石州半紙」(島根編浜田市・大阪商人の帳簿用紙などとして重宝されていた)は、「本美濃紙」(岐阜県美濃市・飛鳥時代の戸籍用紙にも使われていた)・「細川紙」(埼玉県小川市・ふすま紙など庶民の生活必需品)の二つを加え「和紙」としてグループ化する『拡張提案』と呼ばれる手法で登録を目指していた。製作者が団体で後継者の育成や品質管理、資料収集にあたり伝統技術を守る体制が整っているとして推薦した。


2013.5.28高知新聞 いの町などの手すき和紙職人らが開発した「プラチナプリント」の専用印画紙を使ったワークショップが25・26日の両日同町の紙の博物館作品をためし刷りした・・・。プラチナを含んだ感光液を使う印刷技法で被写体を細密に再現できる・・・。印画紙は「土佐白金紙」のなで今秋以降に同ギャラ李^で発売予定・・・。

2013高知新聞 あしすと 土佐和紙グッズ 領収証 525円  脂取り紙 1,260 420円 千代紙 509円  蘆漉き紙 525円  iPadケース 6,300円 土佐まき和紙 氏路2,500円 生成3,000円 納経帖 9,830円  お皿 200円  翠レターセット  紙の博物館売店。土佐和紙工房パピエ いの町088・880・9185.ペーパーラボ088・892・4010。スタジオ紙音(しおん)高知市088・884・5428.

2013.1.20.高知新聞 土佐典具帖紙 世界最薄「1平方メートル、2グラム」量産 ひだか和紙(日高村) 用途は紙にとどまらず、浅草寺の阿吽像・東京国立博物館の「アイヌ盆」・・・・・15世紀活版印刷が始まってからも、欧州の紙は賛成が強く・腐食に弱かった。経年変化に頭を抱える学術関係者にとってもアルカリ和紙は復員だった・・・大英博物館、オックスフォード大、ポルトガル国立図書館、・・・輸出先は「帝国」と呼ばれた国々を中心に20カ国を超す。・・・出荷は主に「5g和紙」。「2gはよほど熟練の修復師でないと扱えない・・・」・・・。

愛媛県四国中央市寒川町 モリモト 和紙畳 2012.3.4高知新聞  イグサにつき物の変色が防げる・強度は3倍・価格は倍だが機能性が評価されている・防ダニ防カビ効果あり・月間生産7万畳。

2012.6.2高知新聞 典具帖紙 光の幻想アート いの町神谷の浜田洋直さん(34) 「カゲロウの羽」ト称されるほど極薄で、光や風景が透ける特性を生かした花を制作。・・・薄さ0.03mmの典具帖紙を通った柔らかな光が、趣の空間を演出する。・・・和紙ちぎり絵の第一人者北村霞代さんが指導するちぎれ絵教室・・・。楽水紙で作った照明も展示する・・。土佐和紙工芸村「くらうど」、

ライン

動く風鈴

直線上に配置

2017.6.28高知新聞 シチズン最高峰モデル「ザシティズン30万円〜33万円 「エコドライブ;光をエネルギーに変えて動く・光を通す文字盤とちょうちんや障子として光を通す素材として土佐清張紙採用;紙をすく道具の跡「すのめ」のうっすらとしたストライプが縦になるよ配置・・・。
2017.6.20高知新聞 阿波和紙 吉野川市山川町を南北に流れる川田川の伏流水  カルシュームやマグネシウムなどの水に含まれる成分は微妙に異なる 丈夫で加工しやすい4阿波和紙・・・。
LION APRIL 2017 P49〜53 八女市 八女提灯 江戸時代後期 「涼み提灯」 全盛期には2,000軒・現在は6軒。九州産の楮は繊維が長い、1.5cm〜2cmある、破れにくく荒々しく男性的、障子紙や提灯、仏壇・表具・傘・こう薬などの用途の紙が作られる・・・。


2011.5.12高知新聞 土佐和紙に新ブランド ・・「高岡式」抄紙機は、50年代に故高岡丑太郎氏(1900〜65年)が開発した懸垂式短網抄紙機。手漉きの風合いがそのままに表現できるコンパクトな機会として50〜60年代に全国へ広がった。・・・その後大型機に切り替えてゆくメーカーも多かったが、同町内では「近代化産業遺産とも言えるこの機械が現役で稼動・・町内の製紙業者約30社、機械を使う約20社のうち、半数が高岡式だ。・・昨年7月に「紙の里いの再生プロジェクト推進委員会」を発足させた。・・試行錯誤で12商品・・・。柄物の土佐和紙・コウゾ、レーヨン、マニラ麻など、さまざまな原料で漉き、色とりどりに染めた「土佐和紙練習帳」・損紙を柿渋染めにして紙草履を手編みできるようにしたペーパーキット・・。


土佐の壁紙
 県室内装飾組合 和紙・漆喰・ヒノキを材料に3種類の壁紙を開発」(平成13年度県中小企業団体中央会補助事業)「なるこ」として商品展開
和紙の研究 歴史・製法・用具・文化財修復」 330頁、非売品、紙産業技術センターや県立図書館で閲覧できる(2003.4.18)
2010.10.12高知新聞 土佐典具帖紙(高岡分日高村沖名):厚さ0.02g、重さ1平方メートル当たり2g、「ひだか和紙」その透明性と丈夫さで文化財の修復用和紙として世界中から熱い視線が注がれている。・・ドイツの博物館では活版印刷が発明されたルネッサンス期の書物などの修復、補強に用いられているという・・。
2020.1.13高知新聞 四国中央市川之江町 紙のまち資料館 紙・パルプ・紙加工品出荷額が日本一の上の町 紙幣と切手以外は何でもそろうと言われるほど多様な紙製品を製造する紙産業集積地 1988年旧川之江市がオープン てすき和紙づくり体験(はがき・めいし・卒業証書)、水引細工教室(指導者の認定をうけるなど伝統技術の継承にも一役買っている)、ペーパーフラワーや絵手紙など7教室18学級約2,700人が受講・・。・・第二次大戦期・・秘密兵器「風船爆弾」ミニチュア(約10分の1)・・。
 
 和紙の藍染め 徳島県麻植郡(おえぐん)山川町(うだつのある美馬郡脇町の東隣) 藩政時代には、御用紙としての奉書紙・髪を束ねるための元結髪・紙袋に用いた仙貨紙。昭和30年代から開発。藤森実さん(84歳)2000.11.13高新。染める前に和紙に耐水加工を、藍液に難かい漬けても破れないように、こんにゃく粉を原料にしたのりを作り、紙の表面に塗る。液に浸す回数(1回5分)が多いほど濃さが増す。黄緑色に染まっていた部分が、酸素と触れて次第に青色に変化していく。昭和59年現代の名工・労働大臣表彰。1985科学万博・茨城県・迎賓館の内装材として使われインテリア用材としても注目された
動物を殺すことに抵抗を感じる工芸作家や製本家たちのあいだで、皮革やパーチメント(羊皮紙)の代わりに和紙を使う動きがではじめているという。其の昔日本で皮革がなかなか手に入らなかったころ、日本人は知恵を絞り、油紙をいぶして木版で浮凸文様をつけた擬革紙や、いぶした紙を磨いてパーチメントそっくりの羊羹紙などを作っていた。
阿波藍染和紙;0883−42−6120

2009.12.3高知新聞
 黒潮町佐賀地域の基幹作物だった楮生産を復活させる取り組みを進めている・・明治時代から1950年代にかけて盛ん・・特に拳の川の若山地区のコウゾは「若山楮」と呼ばれ、全国的にも良質でしられたという・・和紙の需要が減り生産は途絶える・・。このほど、初の火入れをおこなった・・。「蒸しはぎ体験などの問い合わせは同町海洋農林課、0880−55−3115」
2010.1.8高知新聞 和紙づくり体験型観光・・黒潮町海洋農林課0880・55・3115

2009.11.16高知新聞 日高村のひだか和紙=世界一薄い 1平方メートル当たり2グラム・透明感ある美しさ 丈夫で透ける典具帖紙は古美術品や文化財の修復に使われる・・。

典具帖紙てんぐじょうしは、楮を原料とした和紙では世界で一番薄い。土佐典具長紙の政策技術を「重要無形文化財」に指定し、手漉き和紙職人を人間国宝に認定するように答申、2001、6、16〔島根県の雁皮紙がんぴし、福井県の越前奉書えちぜんほうしょ、いずれも昭和43年指定などに続き6例目〕
土佐典具帖紙;いの町神谷;088−892−3754

水にぬらしていくら重ねても紙同士くっつかない。火事になったら大福町をそのまま井戸に投げ入れ後で乾かしてまた使ったといわれる。

太布 阿波太布(タフ) こうぞの仲間、カジの木といえば和紙の原料。ところが徳島県那珂郡木頭村では、カジから布(古代布)を作っている。「弥生機」と呼ばれる機の回りに、使いこまれた太布のシャツが並んでいる。生成りの自然な風合い。ざっくりとした手触り。「大変丈夫で、3代も5代も使えます」。一月、葉の落ちたカジを刈り取る。(水が凍るような時に作業しないと、カビがはえてくる)束にしたカジをこしきで蒸し、皮をはぐ。次に灰水で煮て、軽く叩き、繊維を軟らかくしたあと、踏んで表皮を取る。それを川でさらしたものを裂いてから、つないで糸に市、よりをかける。糸がきれないように、ふのりをスプレーしてから反物に織る。「一時間に20cmぐらい織れるかな。昔の人は一日に一反織りよったらしいけど」と中川さんの妻のノブコさん(67)〜〜。「太布庵は月曜日の午前9時ごろから午後5時頃まで開館。事前連絡をいれたほうが良い。0884・68・2386、0884・68・2264


  土佐和紙 専門店 「和紙工房パピエ」 はりまや町2丁目 土佐和紙を代表する典具帖紙(てんぐじょうし)をはじめ雲龍紙.落水、もみ紙など。スタンドrジトや紙バッグ名刺などなど。

土佐和紙の里(生産風景の写真集)高知新聞社刊 2,476円 84枚 2003年5月
千葉県柏市、矢野延子(30)土佐和紙張り絵展示即売{5年目の個展、2000.7.10高新)

2009.3.5高知新聞 極薄土佐和紙 世界へ 高岡郡日高村の「ひだか和紙」開発の典具帖紙(てんぐじょうし)・白い紙ながら塩素を使わないため書物だけでなく木造修復などの分野でも重宝されている。世界一薄い・・彫刻の細かな曲面に沿って自在になじませるためには薄く、透けて、繊維が長く丈夫な和紙が良い・・。

紙布(しふ)
;紙で織った布。和紙を繊維に沿って細く切り、石の上で揉んで柔らかくする。これを藍で染めたり、楊梅や茜、柿などで草木染めにするなどし、糸車で縒って糸にする。そして、機にかけて(経糸に木綿や麻などを使うことも有る9、布地に織ってゆく。
万葉集などに、”栲布”とか”白妙”、ともに楮の繊維で作った布。”太布(たふ)”は高知でも古くから織られていた。
織り上げられた紙布は、壁紙やタペストリー、帯、ワイシャツ、作務衣、スカートなどさまざまに応用される。「絹の光沢にはかなわないが、あったかくて、やわらかいし、素朴な味わいがある---和紙の風合いですね」高知市一宮・草川メイさん(69)2001.12.3高新

2002.4.18大英博物館で日本画の修復担当のセラさん;和紙の研究に県紙産業技術センターなどを訪問

@土佐和紙の原料は梶・三椏・楮・雁皮。昭和30年代ごろまで、土佐郡土佐山村・幡多郡佐賀町拳ノ川・高岡郡越知町桐見川地区などの農家では、県内では最高の赤楮(あかそ)と呼ばれる楮(こうぞ)が生産されていた。
現在は「ユズ」「お茶」などの栽培に変わり、楮の姿を見ることが少なくなった。

A楮は桑科の落葉木で2〜3mぐらいの成木を毎年収穫します。全国の楮生産の過半数は高知県産で「土佐楮」と言われており、その品質も高く評価されています。1枚の障子紙には1.4〜1.5Kgの原木が必要だといわれています。
三椏は沈丁花科の落葉木で、苗を植えてから成木になり,刈り取るまでに3年もかかります。
3年ごとに収穫し、「局納みつまた」として大蔵省印刷局に納入され日本銀行券(紙幣)となって、日本全国に出回るのです。
楮・三椏を蒸す時期は、雨がふったりみぞれが降ったり大雪になったりする。

B吾北村寺野;つぼ(中庭)に置かれた楮の束(棚田のあぜ、日当たりの良い畑で栽培。枝を払い、4尺2寸(約125cm)の長さに「はみ切り」を使い切りそろえる。40〜60本ぐらいを束ね、蔓でしっかりと縛る。それの30束くらいをまとめロープで締め上げで番をまつ。明日は一家総出で楮の皮剥ぎ。(寺野 川村徳治さん)
急斜面の日当たりの良いところで育つ楮を「日照り楮(ひでり楮)」と言い、質も良いとの事です。南斜面で日当たりがよく排水の良い畑では楮の木の下で蒟蒻(こんにゃく)を栽培し、表土(うわつち)を防いでいます。

C野山で怪我をした足や手に,和紙の切れ端に蓬(よもぎ)をもんだ生汁を染み込ませ,傷の手当てをしてくれたこと、穴の開いた笊(ざる)や木箱に和紙を張って柿の渋を塗って修繕していた祖母のことなど、いろいろのことを思い出します。D野山や田畑で汗をかきながら駆けずり回って遊んでいる子どもの姿がありません。これは過疎化ダケデハナク、テレビゲームや進学塾に通わねばならないことも原因だと思います。(33)「水より」と「空より」原木のときに擦れ合ってできた傷や、原料を作る過程でどうしてもほこりやスナが混じる〜これらの塵(ちり)を除く作業は根気が要る(純白の繊維にするために何回も繰り返す)。原料を水に入れ、少しずつ広げながら取り除く「水より」。原料に含まれた水を絞り、濡れた状態で広げながら取り除くことを「空より」という。こうして、美しい原料になった繊維は「ねり」と混ぜ合わせて漉き舟に入れられる
炭酸カルシウム、炭酸マグネシウム、鉄分を含まない大量の水がいる。紙床に重ねてもそれぞれが単独の繊維の絡み合いだから、剥がせる。紙床のまま圧搾機にかけて水切りし干し板に張って天日に干す。(天気の悪い日には大きい冷蔵庫に入れて、晴天を待つ。
1日に300〜500枚を漉く。漉きだちでまだ湿っている紙が重なっているのに、1枚ずつ綺麗にはがれるのは「ねり」が大きな役割をしているから。
狩山紙は吾川郡池川町。
以上は、@AB〜。土佐和紙の里{和田徳恵、高新聞より)

2010.12.16高知新聞 若山楮 1950年代まで楮栽培が盛んであった幡多郡黒潮町拳の川などの住民で3年前から「佐賀北部地域協議会」(矢野元会長)が取り組み収穫は2年目・・一部にシカや猪の被害はあったものの、昨年を上回る1.2トン収穫した・・体験イベントは、19日「土佐佐賀温泉拳ののdsと」敷地内で午前9時〜午後4時・・体験料500円でサツマイモや楮の白木をプレゼント、地元食材の出店もある・・。

和紙国際化実行委員会 2002年3月〜4月第5回高知国際版画トリエンナーレ展(応募受付2001年10月1日〜31日、大賞<副賞100万円・準大賞<同50万円>、土佐和紙賞<同30万円と10万円分の土佐和紙>

土佐七色紙の創始 ; 慶長の頃、吾川郡成山村で安芸三郎左衛門家友と養甫尼と共に、伊予の旅人新之丞(彦兵衛)から朱善寺紙の製法を学び、七色紙を考案したといわれている。だが、家友は七色紙の製法が藩外にもれることを恐れ、新之丞を仏が峠で斬り殺してしまったという哀話が残されている。
もちろん、七色紙が考案される以前にも土佐紙は生産されていた。「長宗我部検帳」によれば、高岡郡梼原町には22筆の紙漉地、幡多郡下山郷江川に紙屋敷、楮の記載は各所にわたるそうである。

トコロアオイ(花や草の形は野菜のオクラに似る・ゴボーの丈が低く朝鮮人参のような根が多く付いている)の根から「和紙を漉(す)時ののり」を作る。(洗って傷をつけると1年間保存が出来ないので、洗わずに土ごと漬ける)、契約栽培(予約はすべて買い上げ)。「のり」といわれる「ねり」は紙を漉くとき、繊維と繊維を接着するものではなく、「ねり」の役目は水中で繊維の分散を助けるためのもので、接着力はない。トコロアオイの根を水に漬けると、粘りのある液がたくさん出てきて、この液を袋でろ過してほこりを取り、漉き槽にいれて原料と一緒に拡販する。「ねり」のヌルヌルが繊維を包んで、繊維は互いに絡み合うことなく水中に分散し、簡単に沈まずに兆時間水中に浮いている。

紙に関する話題  仁淀川・紙の鯉幟 ・ フラフ はこの下の方を参照
○「金の活字賞」(2002.3.22ドイツ書籍美術財団)世界31カ国出版のなかから、”世界で最も美しい本”「和紙ー日本の紙の伝統と文化(2巻計178頁グラフィックデザイナー高木毬子さん)2002.3.24高新
○ウィーンのハウス・ヴィトゲンシュタインで北古味可葉さん「土佐和紙のあかり展」2000.5(春野町よくばり子リス松田さん、飛鳥出版室かわら版
第103号)
○ドイツ、ハノーバー万博(2000年6月)「新しい世界の創造ー人間・自然・技術」史上最多の190カ国。「できるだけ再利用可能な材料を使う」との条件で、日本は再生紙を建材に、高さ約15mの”世界最大の紙製建造物の館内で、05年の愛知万博や地球温暖化防止に向けた日本の取り組みを紹介。
○高知市永国寺町「子どもの図書館」へ紙の「翼竜」を「ペーパーワークス2000いの」実行委員会寄贈。天井につるされている、2,5m。
○キューバの種首都ハバナ「ガレリア・ロス・オフィシオス」で「土佐和紙展」:24人、高知市星ケ岡アートヴィレッヂ・伊野町鹿敷製紙・県手すき和紙共同組合・紙の博物館、2000.11.18〜12.9

高知県香美郡香北町の大宮小・猪野々小・谷相小の6年生、ケナフを紙にすき、自分達の手で卒業証書を作った。2001.2.2高新

高知市、金星製紙 2002.2よりデンマークの不織布製造機・スエーデン製の破砕機など欧州製のリサイクル関係技術を持つメーカーから導入し本格稼動する。

土佐清帳紙 ; 天日に干し乾燥させ作る。吾川郡吾川村岩戸。大福帳や選挙の投票用紙、書道・版画ちぎり絵など美術・工芸用など。昭和53年「現代の名工(労働大臣)の称号。0889−35−0625

檀紙だんし 軟水がなじみやすく、伝統的な厚手で白い縮緬のような皺がある高級紙 奉書紙 愛媛県東予市国安町マルショウ製紙所」;西条市;08898−66−1122

揉み紙 
 和紙に顔料を下塗りして乾かし、その上に別の顔料を上がけして何日か乾かす。それを両手で繰り返し丁寧に揉んでいくと、上地の顔料が落ちて下地が現れ,模様を形作る。そのあと、広げて糊で裏打ちして仕上げる。「下塗りと上がけの色のバランス、揉みの強さと弱さによって、無限に広がっていく。どんな模様がでてくるか、それがすごく楽しい〜高知市井口町の横山沙知さん」2002.1.21高新

まるみ和紙;幡多群大方町;0880−43−0065。泉貨紙せんかし;西西条市野村町;0894−72−0322

土佐和紙工芸村に、養蚕→染め→織物まで一連の工程を体験できる、染め織作家の山本さん運営(2002.8.3高新)


仁淀川紙のこいのぼり」  紙の伊野町特産の不織布で長さ10m〜1.5mのこいのぼりが仁淀川中に200匹前後群れる(うろこや色付けに地元だけでなく信濃川流域の子どもたちも参加しているという)
 「和紙の里空にも川にも鯉幟」2001.5.5高新ひろば 小野山征男さん;端午の午は、動物では馬、方角では南、月では5月、端午の節句とは5月の端(はじめ)の節句。お隣の中国では、5月5日生まれの子は親不孝をすると言う迷信がある。ショウブを軒にさして厄払いをする風習は子どもを思う親の知恵から生まれた、そして5月5日をお祝いの日にしてしまった。さらに、「66(りくりく)変じて、99鱗(くくりん)となる」の俚諺伝説(36枚の鱗を持つ鯉が、81枚の鱗を持つ龍にとなる)を空に(川に)泳がせて、子どもの未来を祝福したのである。「いつの世も、生き抜け強くと、鯉幟」

はりまやや橋  電車;左手でノッチ(制御器)、右手で制動杷手(ブレーキ)、右足で警笛、



2009年、県内バスバス・電車にデスカ(電車のデ、バスのス、カード)採用・下は、そのPR/HPより借用





2002.4.18大英博物館で日本画の修復担当のセラさん;和紙の研究に県紙産業技術センターなどを訪問

@土佐和紙の原料は梶・三椏・楮・雁皮。昭和30年代ごろまで、土佐郡土佐山村・幡多郡佐賀町拳ノ川・高岡郡越知町桐見川地区などの農家では、県内では最高の赤楮(あかそ)と呼ばれる楮(こうぞ)が生産されていた。
現在は「ユズ」「お茶」などの栽培に変わり、楮の姿を見ることが少なくなった。

A楮は桑科の落葉木で2〜3mぐらいの成木を毎年収穫します。全国の楮生産の過半数は高知県産で「土佐楮」と言われており、その品質も高く評価されています。1枚の障子紙には1.4〜1.5Kgの原木が必要だといわれています。
三椏は沈丁花科の落葉木で、苗を植えてから成木になり,刈り取るまでに3年もかかります。
3年ごとに収穫し、「局納みつまた」として大蔵省印刷局に納入され日本銀行券(紙幣)となって、日本全国に出回るのです。
楮・三椏を蒸す時期は、雨がふったりみぞれが降ったり大雪になったりする。

B吾北村寺野;つぼ(中庭)に置かれた楮の束(棚田のあぜ、日当たりの良い畑で栽培。枝を払い、4尺2寸(約125cm)の長さに「はみ切り」を使い切りそろえる。40〜60本ぐらいを束ね、蔓でしっかりと縛る。それの30束くらいをまとめロープで締め上げで番をまつ。明日は一家総出で楮の皮剥ぎ。(寺野 川村徳治さん)
急斜面の日当たりの良いところで育つ楮を「日照り楮(ひでり楮)」と言い、質も良いとの事です。南斜面で日当たりがよく排水の良い畑では楮の木の下で蒟蒻(こんにゃく)を栽培し、表土(うわつち)を防いでいます。

C野山で怪我をした足や手に,和紙の切れ端に蓬(よもぎ)をもんだ生汁を染み込ませ,傷の手当てをしてくれたこと、穴の開いた笊(ざる)や木箱に和紙を張って柿の渋を塗って修繕していた祖母のことなど、いろいろのことを思い出します。D野山や田畑で汗をかきながら駆けずり回って遊んでいる子どもの姿がありません。これは過疎化ダケデハナク、テレビゲームや進学塾に通わねばならないことも原因だと思います。(33)「水より」と「空より」原木のときに擦れ合ってできた傷や、原料を作る過程でどうしてもほこりやスナが混じる〜これらの塵(ちり)を除く作業は根気が要る(純白の繊維にするために何回も繰り返す)。原料を水に入れ、少しずつ広げながら取り除く「水より」。原料に含まれた水を絞り、濡れた状態で広げながら取り除くことを「空より」という。こうして、美しい原料になった繊維は「ねり」と混ぜ合わせて漉き舟に入れられる
炭酸カルシウム、炭酸マグネシウム、鉄分を含まない大量の水がいる。紙床に重ねてもそれぞれが単独の繊維の絡み合いだから、剥がせる。紙床のまま圧搾機にかけて水切りし干し板に張って天日に干す。(天気の悪い日には大きい冷蔵庫に入れて、晴天を待つ。
1日に300〜500枚を漉く。漉きだちでまだ湿っている紙が重なっているのに、1枚ずつ綺麗にはがれるのは「ねり」が大きな役割をしているから。
狩山紙は吾川郡池川町。
以上は、@AB〜。土佐和紙の里{和田徳恵、高新聞より)

和紙国際化実行委員会 2002年3月〜4月第5回高知国際版画トリエンナーレ展(応募受付2001年10月1日〜31日、大賞<副賞100万円・準大賞<同50万円>、土佐和紙賞<同30万円と10万円分の土佐和紙>

土佐七色紙の創始 ; 慶長の頃、吾川郡成山村で安芸三郎左衛門家友と養甫尼と共に、伊予の旅人新之丞(彦兵衛)から朱善寺紙の製法を学び、七色紙を考案したといわれている。だが、家友は七色紙の製法が藩外にもれることを恐れ、新之丞を仏が峠で斬り殺してしまったという哀話が残されている。
もちろん、七色紙が考案される以前にも土佐紙は生産されていた。「長宗我部検帳」によれば、高岡郡梼原町には22筆の紙漉地、幡多郡下山郷江川に紙屋敷、楮の記載は各所にわたるそうである。

トコロアオイ(花や草の形は野菜のオクラに似る・ゴボーの丈が低く朝鮮人参のような根が多く付いている)の根から「和紙を漉(す)時ののり」を作る。(洗って傷をつけると1年間保存が出来ないので、洗わずに土ごと漬ける)、契約栽培(予約はすべて買い上げ)。「のり」といわれる「ねり」は紙を漉くとき、繊維と繊維を接着するものではなく、「ねり」の役目は水中で繊維の分散を助けるためのもので、接着力はない。トコロアオイの根を水に漬けると、粘りのある液がたくさん出てきて、この液を袋でろ過してほこりを取り、漉き槽にいれて原料と一緒に拡販する。「ねり」のヌルヌルが繊維を包んで、繊維は互いに絡み合うことなく水中に分散し、簡単に沈まずに兆時間水中に浮いている。

紙に関する話題  仁淀川・紙の鯉幟 ・ フラフ はこの下の方を参照
○「金の活字賞」(2002.3.22ドイツ書籍美術財団)世界31カ国出版のなかから、”世界で最も美しい本”「和紙ー日本の紙の伝統と文化(2巻計178頁グラフィックデザイナー高木毬子さん)2002.3.24高新
○ウィーンのハウス・ヴィトゲンシュタインで北古味可葉さん「土佐和紙のあかり展」2000.5(春野町よくばり子リス松田さん、飛鳥出版室かわら版
第103号)
○ドイツ、ハノーバー万博(2000年6月)「新しい世界の創造ー人間・自然・技術」史上最多の190カ国。「できるだけ再利用可能な材料を使う」との条件で、日本は再生紙を建材に、高さ約15mの”世界最大の紙製建造物の館内で、05年の愛知万博や地球温暖化防止に向けた日本の取り組みを紹介。
○高知市永国寺町「子どもの図書館」へ紙の「翼竜」を「ペーパーワークス2000いの」実行委員会寄贈。天井につるされている、2,5m。
○キューバの種首都ハバナ「ガレリア・ロス・オフィシオス」で「土佐和紙展」:24人、高知市星ケ岡アートヴィレッヂ・伊野町鹿敷製紙・県手すき和紙共同組合・紙の博物館、2000.11.18〜12.9

高知県香美郡香北町の大宮小・猪野々小・谷相小の6年生、ケナフを紙にすき、自分達の手で卒業証書を作った。2001.2.2高新

高知市、金星製紙 2002.2よりデンマークの不織布製造機・スエーデン製の破砕機など欧州製のリサイクル関係技術を持つメーカーから導入し本格稼動する。

土佐清帳紙 ; 天日に干し乾燥させ作る。吾川郡吾川村岩戸。大福帳や選挙の投票用紙、書道・版画ちぎり絵など美術・工芸用など。昭和53年「現代の名工(労働大臣)の称号。0889−35−0625

檀紙だんし 軟水がなじみやすく、伝統的な厚手で白い縮緬のような皺がある高級紙 奉書紙 愛媛県東予市国安町マルショウ製紙所」;西条市;08898−66−1122

揉み紙 
 和紙に顔料を下塗りして乾かし、その上に別の顔料を上がけして何日か乾かす。それを両手で繰り返し丁寧に揉んでいくと、上地の顔料が落ちて下地が現れ,模様を形作る。そのあと、広げて糊で裏打ちして仕上げる。「下塗りと上がけの色のバランス、揉みの強さと弱さによって、無限に広がっていく。どんな模様がでてくるか、それがすごく楽しい〜高知市井口町の横山沙知さん」2002.1.21高新

まるみ和紙;幡多群大方町;0880−43−0065。泉貨紙せんかし;西西条市野村町;0894−72−0322

土佐和紙工芸村に、養蚕→染め→織物まで一連の工程を体験できる、染め織作家の山本さん運営(2002.8.3高新)


仁淀川紙のこいのぼり」  紙の伊野町特産の不織布で長さ10m〜1.5mのこいのぼりが仁淀川中に200匹前後群れる(うろこや色付けに地元だけでなく信濃川流域の子どもたちも参加しているという)
 「和紙の里空にも川にも鯉幟」2001.5.5高新ひろば 小野山征男さん;端午の午は、動物では馬、方角では南、月では5月、端午の節句とは5月の端(はじめ)の節句。お隣の中国では、5月5日生まれの子は親不孝をすると言う迷信がある。ショウブを軒にさして厄払いをする風習は子どもを思う親の知恵から生まれた、そして5月5日をお祝いの日にしてしまった。さらに、「66(りくりく)変じて、99鱗(くくりん)となる」の俚諺伝説(36枚の鱗を持つ鯉が、81枚の鱗を持つ龍にとなる)を空に(川に)泳がせて、子どもの未来を祝福したのである。「いつの世も、生き抜け強くと、鯉幟」

操業を実力阻止した19716月・・現在はショッピングセンター・・浄化祈念碑の写真など → http://www.h2.dion.ne.jp/~seimon/tabi6.htm・・同HPには、有害排水を垂れ流しにしたパルプ工場に対して、怒った地元の住民が・・この地はパルプ工場の立地には向いていない・・・とありあます。

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2009/05/post-ca4b.html・・1944年から45年にかけて、アメリカ空爆用自動飛行体・風船爆弾が作られていました高知でも風船部分が作られていました・・・短歌の花だより(さぬき市、高知市・藤原義一さんのHP)・・土佐高女・第一高女・高坂高女などに作業が課せられ・・後には市内旭町に工場が出来て、そこに通勤した。・・・。・・

昭和19年・・7月には高知市旭町三丁目九四番地(現西日本パルプ敷地)に科学加工紙株式会社を設立するとともにバルーンの満球試験工場を建設して所謂風船爆弾の製造に着手した。・・。・・手漉き業者は当時約800戸もあったが十八年九月ごろから、すべてコウゾを原料とした気球用の生紙(きがみ)すきを命ぜられた。・・・・すきあがった紙は高知市旭町三丁目の国産工場(旧高知パルプ敷地)や第一高女(丸の内高校)土佐高女(土佐女子高)グラウンドなどで張り合わせて(原文ママ)原紙をつくった・・。風船の直径は十メートル、重さ七十五−八十キロ。ラッカーで迷彩し、月に十〜十五個ずつと東京へ送られた。水素ガスでふくらませた風船に親指大のロープで五キロの焼夷弾四個と十五キロの爆弾がつるされた。アメリカに到着する時間を計算して自動爆破する装置をつけた。別に重さ二キロの砂袋を三十二個ぶらさげた。どうしても水素ガスはすこしずつ風船の表面から逃げるので、途中で一定以上に高度が下がった場合、自動的に砂袋を落として風船が偏西風帯に戻る工夫もした。・・・・。

高知工科大学の島本哲也様の「土佐和紙産業技術と歴史的背景」p8・平安時代に紙を作る国として土佐の名前がでている・・・幕藩体制の確立と紙の需要増大を背景として本格的に土佐和紙として定着・・祖とされる安芸三郎左衛門家友は伊予の旅人の協力を得て七色紙考案し、山内一豊に献上・・黄(やまももの皮、ヒラサキの葉)・浅黄紙(藍)・桃色紙(弁柄)・柿色紙(やまももの皮、蘇芳、明礬は色止)・紫色紙(楊梅皮、明礬)=それぞれ原料はがんぴ。紫色紙はこうぞ、がんぴ。朱善寺紙(原料不明、青土佐紙か)・・・。近代・・伊野町の吉井源太の連漉器の発明などにより技術面(明治13年土佐展具帳紙はアメリカのタイプライター用に輸出)販売面が大きく伸びた。・・、明治19年・伊野精紙会社設立・西洋製紙技術。明治21年吉井源太「日本製紙論」著す。明治37年土佐紙合資会社設立、明治43年に土佐紙株式会社となった。・・・。

P15・(大正、昭和初期)第一次大戦後不況で副業的手漉き業は壊滅、器械製糸の強化拡大・・。戦後好況で土佐紙業株式会社は・・大正10年には23工場経営・・しかし、大正15年安田財閥系の日本紙業株式会社に吸収され伊野支店となった。

・・前掲書P16(昭和中期から後期)昭和16年ニッポン高度紙工業創設、昭和26年金星製紙創業・・昭和401月土佐紙株式会社倒産・・昭和51年土佐和紙がわが国の伝統的工芸品に指定される。

・・同P23戦前の日本紙業株式会社高知工場・・昭和612月・・器械に比べ労銀の点から不利な手漉き部を廃止・旭工場の2号機を伊野工場に移設・所有は抄紙機は計4台。昭和19年、風船爆弾用の紙を行ったが10ヶ月で中止。

・・同P23(7)戦後の日本紙業株式会社高知工場(昭和3691日に旧伊野工場の名称を変更したもの)

・・同P28ニッポン高度紙の歴史・・19418月・・高知市南元町85番地・・高知工業の卒業生数名が創業・・手漉紙にビスコースを含浸加工し耐水性の優れた紙を開発「高度紙」と名づけ、主に薬剤煎出袋として販売を開始。19434月電解コンデンサ紙の生産開始。・・19688月吾川郡春野町寛岡上648番地に春野工場を建設。・・マンガン乾電池用紙・・おむつ濡れンサー発売開始翌月不織布製造設備設置・・1992年安芸工場・・

http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/handle/10129/911 弘前大学の四宮俊之様「戦後日本の紙・パルプ産業での大企業と中小企業の競争と併存に関する経営史的考察(下)・・<註・このアイテムをPDF「見る/開く」で読めます>。

・・61Pに目次【4】(5)高知県での紙・パルプ産業の伊野町を中心とした集積。

・・82P84Pが本文で・・明治時代に緒方の簀桁(スゲタ)が考案され農村手工業として・・第2次大戦後と思われるが・・新たに器械漉き和紙業に進出してくる者が相次いだ。・・伊野町における100199人規模の工場は日本紙業(1925年に日本紙器と土佐紙(株)の合併で設立され、1997年に十條板紙となる)の高知工場で・・・。また、それらの他に200299人規模の県内最大工場として、伊野町や土佐市と隣接する春野町にニッポン高度紙工業があった。同社は、1941年に手漉き和紙から加工紙の製造をはじめ、2000年において・・電気絶縁紙などを製造していた・・・。








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