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     「あかり」29号 平成23年8月発行

高知県視覚障害者協会 高知市越前町2-4-5  088-875-5247 編集・片岡 義雄


全国大会の報告      松岡 弘

さる6月3日から5日まで・・・島根県松江市で・・・日盲連全国大会・・・笹川会長挨拶は東日本大震災の会員の被害状況・・・義えん金締め切りは9月30日・・。

大会スローガン・運動方針; ・・・駅ホームへの可動柵の設置・無資格類似行為の横行を許すな・・・地デジによる解説放送の充実・・・金融機関等における代読代筆就労関係諸問題解決・・理療科教員のレベルアップ・・・。



最近思う事      安岡 一誠

・・・東日本大震災 ・・・東電の原発事故 ・・・南海地震 ・・・安政地震から昭和地震 ・・・この6月で81歳になり10数年来、心房細動の不整脈で苦しんできたが最近医学の進歩で、ステープルアプレーションで手術出来るようになった。・・・神奈川県の横須賀共済病院で年齢に関係なくやってくれることを見つけ、昨年11が雨に手術・・鼠経部から3本、頸部から1本のカテーテルを入れ、心臓の中隔を貫き、肺動脈の心房への開孔部の心筋組織を高周波で焼き切るもの。・・毎朝5時から30分ほど散歩・・・ラジオ体操と呼吸法実践・・・趣味としてパソコンで読書・・いまは、もっぱら時代小説・・・治療もやっており、福祉専門学校で点字を教えに行っています。・・・。



サウンドテーブルテニス大会報告      畠山 俊恵

7月3日、第6回四国地区大会が高松市の「総合福祉会館」で・・・高知市から、宮脇忠支さん・山下晃さん、畠山の3名が参加した。・・・4部門の男女50名ほどいたと思う。・・・私は「アイマスク使用の女子の部」で3年連続優勝しているので、試合の組み合わせも「完全にマークされている」というシードだった。・・・全然調子が出ないまま、優勝した香川の若い子にセットカウントで2:0で負けてしまった。私の4連覇が途切れた時。『松山でメールが回った」と後日松山のマル友から聞いた。・・・全体にレベルが上がっていたように思う。・・早い球をカンカン打ち合い白熱したいい試合だった。・・・来年の徳島大会に向けて、また頑張って練習しようとおもった。・・・。よその県に比べると、高知の卓球人口はまだまだ少ないので、もっともっと高知当時ののみなさんに「サウンドテーブルテニス」の楽しさを伝えていき、メンバーを増やしたいと思っている。



不倒翁(おきあがりこぼし)      安岡 一誠

達磨などの形に作り、倒れてもすぐおきあがるようにした玩具・・・普通は「起き上がり小法師」と書きます。その原型は室町時代「不倒翁」という名で中国からつたわったそうです。・・・不老長寿の縁起物・・・「小法師」が縮まって「こぼし」となり幹事はそのまま残ったというわけです。・・・・・・
ところで、7回転んでも起き上がるのは7回。「七転び八起き」とは矛盾します。ですが、・・・・最初の起きている状態も入れて「八起き」・・。そう、起きていなければ小老ことはないわけです。
それでも、私たちは、うまれたままの状態でいようとは思いません。そして、一度も倒れなかった人よりも、何度倒れても立ちあがった人の方が、ずっと立派だと思うのです。



大相撲8昭和30年代の思い出)      宮脇 忠友

・・・。当時の日本は、好景気に恵まれ飛ぶ鳥も落とす勢いがあり、芸能界やスポーツ界にも追い風が吹いていました。
30年代前半は栃若時代、後半は柏戸と大鵬で人気を保っていました。・・・・。

土俵の鬼「若乃花」、2枚けりの「栃錦」、奄美の黒豹「朝潮」、ぶちかましの「松登」、さば折りの「おおだち」、やぐら投げの「はじま山」、「けたぐりの「出羽湊」、褐色の弾丸「房錦」、起重機「みょうぶ谷」、潜航艇「岩風」、もろだし名人「鶴ケ峰」、内掛け名人「事が歯」、・・・・。

力士以外で話題の人二名をあげると、声の良く通る呼びだし「小松」、あわて者の髭の行司「式守いのすけ」がいました。話題はまだまだありますが、又つぎの機会に譲ることとします。



ふと思った事(14)       溝渕 健一

昭和25年(1950)といえば、連合国軍の占領下6年目で、僕が中学部2年に進級した年であったが・・・この年の国内の動きで主要なものは①元旦から、年齢の数え方が数え年で無く満年齢となった事、②1月7日・新しい千円札が発行、③2月1日。国鉄が身障者の旅客運賃の割引実施、④4月1日・手帳の交付や帆装具給付・・・、⑤5月生活保護法・・・、⑥ ・・・、⑦・・、国際ニューズ ・・・。

身近なところでは、25年5月24日は、木造2階建ての母校の新校舎が落成し移転・・・。・・・珍客永吉真澄さん(昭和10年卒)来訪・・・入江先生のお話では、別名を「葉隠れ入道一心斉」・・母校卒業後「あはき師」ではなく「修験者」として山野に起居しつつ、その道のきびしい修業を積んで、ついに「気合い術」をおさめたという。まさに異色の大先輩であった。・・・く点に恵まれた昼下がりの校庭で、大勢の職員生徒の前に三つの演技が披露された。

・・・茣蓙の上で数本の一升ビンをたたき割って、その破片の上に何十キロかの重量物を抱えて寝転がる・・・二つ目は、そのガラスの破片の上を体重65kg前後の大山実さん(昭和26年卒)を背負って素足で歩くという演技で「ガジガジ」と破片を踏み砕く音を聞いて無意識に体が固まっていた事を思い出す。・・・最後は先端を鍼の用意尖らせた自転車のスポークを前腕に差し入れて、その前後のフックに引っかけたロープで、それぞれに大人一人が乗った自転車3台を引っ張って歩く・・・気合い術で精神統一をはかり、それによって厳しい環境にもへこたれず、悪条件をも克服するわざと力を発揮するという。まさに、精神一到何事か成らざらんの格言を形で教わった貴重な人と気であった。

この年の12月18日GHQの特殊教育課スタントン博士が盲学校聾学校視察、翌朝の高知新聞には「・・・高知盲学校では手作りのクリスマスツリーがが飾られていた事・・・小学部3年生の工作の授業の様子・・僕らは恥ずかしがって引きこもってしまったが、桜井先生に変わった大矢正一先生担当の英語の授業を受けていたが「教え方が実に上手」と随分持ち上げられていた事が思い出される。

・・・富田満先生(アララギ派の歌人であった)の御指導で毎月開かれていた「短歌・俳句の会」に提出された一句に「糠拭きの効果 スタントンンに靴脱がせ」・・元海軍中尉の高田幸さん(昭和26年卒)の作で、糠袋でピカピカに磨き上げられたそうかを見たスタントン博士が、米国流を引っ込めて上履きに履きかえられたという話を主題にした懐かしい御kも居出の一コマ・・・25年の流行歌で僕の手元にあるのは32曲だが・・・「赤い靴のタンゴ」「買い物ブギ」「シスコのチャイナタンゴ」「白い花が咲くころ」「だんしぱーてぃの夜」「東京キッド」「東京夜曲」・・・音楽バラエティ{日曜娯楽版」(昭和22年10月22日から昭和27年6月8日まで放送)の中で・・・「冗談鉄道唱歌」俺は特急機関士で(作詞作曲・三木鶏郎・・・「10番線から大阪行き1・2・3等特別急行列車発車し舞す」1僕は特急機関士で 可愛いあの娘が駅ごとに・・・以下略



八百長と原発(タコ様の毒舌吐き・第一弾)     片岡 義雄

「それを言っちゃおしまいだよ・・」というのは、あの「ふうてんの寅さん」の決め台詞。・・・私の父がプロレスを見て・・・。mた、ワイドショーで熟女バトルというのああり・・・。大相撲の八百長事件・・。次は原発のお話・・・。頼みの綱の太陽や風力などの自然エネルギ―・・・。追記 ネットを覗いていたら「全国の放射能度一覧」というのをm付けた。・・・・。



平和宣言      広島市長 松井一實      略



川柳教室「鳴 子」      冨士田 三郎  選評

◆ 深夜便眠りを誘うノクターン    森本 桂子
・・・・ノクターンを聞きながらの夢路は、パラダイスへの旅路かもしれない。

◆スリッパに変えて車中の缶ビール      宮脇 忠志
バスツアーであろう。気のあった仲間と目的地までの数時間・・・と気を放たれた自由を満喫している様子が活写されて楽しく素晴らしい・・・。

◆ 一人居を窓辺に誘う朧月     竹島 里美
一見ロマンチックなような一句でああるが、一人居とあるのが何ともさみしい。・・・若かった夫の顔・元気いっぱいの子供たちの顔・そして父母たちのこt故郷の・・・。

◆誘われて嫌よ駄目よとついて行く      堀内 初恵
・・・・女性の複雑な心理。評者も幼いころこれで随分悩まされたものである。・・・・。

◆封筒の薄さが語る片思い      森本 寿紀
・・・・思いの丈をしっかり」受け止めてくれる分厚い封筒を期待したであろうに・・・・。



平成23年度四国地区グランドソフトボール大会(愛媛県)      梶原 勝彦

塀背23年5月14日(土)~15日(日)・・・・1日目は公式練習・・・宿舎で審判・監督・主将会議・組み合わせ抽選・・・負けた高知と香川との交流戦は4:3で高知が勝ち。中四国大会の結果は広島が勝ちぬき・全国障害者スポーツ大会に出場する。・・・・。



思い出のグリーングラス      沖 郁子

「北国の春」が大ヒットした頃、アジアの国々でもそれぞれの人気歌手によってヒットしていたようだった。・・・ラジオでそれらのレコードを聴き比べした事があった。・・・最初にかかったのは、男性歌手の中国語・・・混声合唱にアレンジしたものでロシア民謡を思わせる深いハーモニーだった。台湾や東南アジアではメロディーは全く同じだったがラブソングになっていた。暑い国の人々には「北国」の春を待ちわびる人々のおみがイメージ出来なかったのかもしれない。・・・。日曜日のお昼にNHK/FMで「日曜喫茶室」というのがあつた・・・。数年前、偶然聞いたこの番組にどこかの大学院の教授がゲストとして招かれていた…趣味がカントリーバンドを結成し毎年定期演奏会をひらいているとのことだった。・・「あれは死刑囚の歌です。歌うたびに涙があふれます」と応えた。・・・日本語にも訳され沢山の歌手が歌っているけれどもこのような歌だと思って聞いた事がなかった。その歌にできるだけ忠実に訳した日本語の歌を聞いてみたいと、それ以来ずっと思っていた。・・・「故郷の草も木も緑に輝いていた、懐かしい父母・友の顔があった・・・・」。あの大学院の先生は、「死んだら自由になってあの懐かしい故郷に帰って父母や懐かしい人たちに会えるのだと言ってんです」と説明していた。



事務局だより
 東日本大震災に伴う募金をお願いしましたところ、会員の皆様から5万5千円をお寄せいただきました。さる6月に本会の特別会計から5万円をプラスして10万5千円を日盲連本部へ送金しました。・・・以下略。編集後記 ・・・・略


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