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< 霧ヶ峰 初飛行から80年 > ♪♪ 2015年
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諏訪市グライダー協会が、同市郊外の霧ケ峰でのグライダーの初飛行から80年の歴史を振り返った記念誌「風にのって―霧ケ峰グライダー80年の歩み」を発刊した。グライダーの発展の変遷など霧ケ峰のグライダーの歴史を初めて一冊にまとめた。
「グライダーの父」と呼ばれる同市出身の藤原咲平博士(1884~1950年)が、気象予報官として出張先のドイツ・ワッサークッペの丘で飛ぶグライダーを見て、地形が似ている霧ケ峰でグライダーの活動が始まった。1932年には「霧ケ峯グライダー研究会」を設立。33年に初飛行し、36年には本格的なグライダー大会では国内初となる全日本大会が開かれた。
同研究会や上諏訪滑空研究会、旧制諏訪中学校(現諏訪清陵高校)滑空部、市協会などの歩みをまとめた。霧ケ峰の空を飛んだ約40人の回想録も掲載。地元のグライダー愛好者のほか、松本空港に就航しているフジドリームエアラインズ(FDA)の鈴木与平会長も大学時代に航空部員として飛行した思い出を寄せている。
昭和初期の資料の散逸もある中、市協会は記念誌編集委員会をつくり、研究会の会誌や写真集めなど1年がかりで作った。
市協会は68年発足。山田勝文市長が会長を務め、会員は県内外の20~70代の約60人。朝倉英仁理事長(60)は「霧ケ峰でのグライダーの歴史を知る人が少なくなってきた。グライダーで飛ぶと八ケ岳など素晴らしい景色が見られる。今後は(グライダーに乗る)後継者を育てることが大事」と話している。
A4判、177ページ。500部作り、協会員らに配るほか、諏訪地方6市町村の図書館に2冊ずつ、諏訪市内の小中高校に1冊ずつ寄贈する。
記念誌に関する問い合わせは会長代行の上原孝義さん(電話0266・52・4744)へ。
霧ケ峰エレジー
思えば8月15日 翼をもがれた 若鷲が 伝統深き この峰に 集い再び 飛び立ちぬ
よく聞け とんびよ 俺たちは 今こそ うまくはないけれど やがて 天下を 天かける 天下一のパイロット
峯は白雪 諏訪湖は茜 解けてみそめて トコドッコイドッコイセ えー 解けてみそめて 出湯の町 アラヨイトヨイト トコドッコイドッコイセ (お諏訪節)
諏訪; 東洋のスイス 精密機械 風光明媚 諏訪大社 なんと申し上げましたか、真冬の諏訪湖の神渡り 、先年、家の者と40数年振りに 諏訪駅に参りますと、駅を降りてすぐ、最初の三叉路を右へ、その道の最初の右側の食堂に、日本で3本の酒の表示がありまして、そのひとつが、郷里高知の「豊の梅」。さっそく、飲りました。
「霧ケ峰グライダー」80年回想 諏訪市の協会、初の記念誌 02月25日(水)
霧ケ峰でのグライダーの歴史をまとめた諏訪市グライダー協会の編集委員ら
長野県の諏訪市グライダー協会が、市郊外の霧ケ峰を拠点とした活動の集大成となる初の記念誌「風にのって 霧ケ峰グライダー80年の歩み」をまとめた。1933(昭和8)年に初滑空して以来、春から夏に霧ケ峰の空を彩ってきたグライダー。会員の思い出や写真を交え、滑空の歴史と魅力を伝えている。28日には市内で発行を祝う会を開く。
32年に全国組織「霧ケ峯グライダー研究会(KGK)」が発足。グライダーが盛んなドイツのワッサークッペを訪ねた諏訪市出身の気象学者藤原咲平(1884~1950年)が、霧ケ峰と地形の類似点を発見したのが設立のきっかけだ。霧ケ峰で翌年、初飛行が行われた。
グライダー活動はKGKのほか、地元の上諏訪滑空研究会、旧制諏訪中学校(現諏訪清陵高校)滑空会、日本学生航空連盟、市グライダー協会が続けてきた。同協会の会長代行、上原孝義さん(70)=諏訪市=は「霧ケ峰のグライダーの歴史は、幾つもの団体により連綿と受け継がれてきた」と話す。
記念誌では、KGKの会誌や上諏訪滑空研究会の設立趣意書、多数の写真などで霧ケ峰とグライダーの関わりを振り返った。敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によってグライダーを含む航空活動が禁止され、機体を焼却処分した出来事も紹介。回想録では会員のほか、霧ケ峰での滑空経験がある地域航空会社フジドリームエアラインズ(FDA、静岡市)の鈴木与平会長らも文を寄せている。
上原さんら11人の編集委員が約1年かけて編集した。朝倉英仁理事長(60)=諏訪市=は「これからは後継者が大事になる。人をまとめ、霧ケ峰で飛び続ける地元の人が出てくれればうれしい」と期待している。
記念誌はA4判177ページ。販売せず諏訪市博物館や諏訪地方6市町村の図書館に寄贈する。問い合わせは上原さん(電話0266・52・4744)へ。
JA5DAK板東OMのHP と 文部省1型グライダー
昭和20年
霧ヶ峰合宿 写真の日付はデジカメ複製の日付で・撮影の日時ではない
JA0055 霧ケ峰式鳩K14型Bプライマリー 36年9月甲府工業高校に売却 全幅10m 全長6.35m 自重80kg 11.4(52km/h) 1.12m/s
K14にナセルをつけ、K14-B。H22(萩原木工・萩原式セコンダリ)導入までウインチ発航。H-23はソアラー。
2000年11月5日 【K-14型プライマリーグライダー展示場へ移動】
修復工房内で復元作業が進められてきた、霧が峰式K-14型プライマリーグライダーが工房から展示場へ移動されました。(私はK-14グライダーの復元作業には関わっていないので、詳細はよくわからなかったりして(^^; )
第5回 全日本学生グライダー競技選手権大会1955年(昭和30年)8月、搭乗者・優勝者 : 法政大学体育会航空部・稲辺 哲明 選手
霧ケ峯式(K・G・K) 鷹七型 JA2009
グライダー発祥の地 霧ケ峯1933年(昭和8年)7月30日、「霧ケ峰にグライダーが飛んだ!!」それ以来78年が経過し、「空を飛びたい」この一言に魅せられた若者たちが霧ケ峰に会い集い、現在も高原の大空を飛びつづけている。
K-14 鷹7 H22(萩原式セカンダリー、英国でも飛行)
2012年12月23日 (日)
http://koyama-s.air-nifty.com/kasmv_repo/2012/12/k-14-3de8.html
かがみはら航空宇宙博物館ボランティア活動報告
グライダー「プライマリー」霧ヶ峯式はとK-14号 (所沢航空発祥記念館蔵)
http://tokyostory.exblog.jp/10932022/