グライダー1頁に戻る 飛行機 WUAC4頁に戻る(赤トンボ)
水上ラジコン機四万十川河川敷に舞う 50機 2003.7.20〜21 タッチ・アンド・フォー、ナイフエッジ飛行、 高知県中村市観光協会・日本ラジコン模型工業会等 四万十川沿いにラジコン滑走路 中村市 国体会場活用し長さ120m、幅25m、周囲には障害物なし、すぐ脇を川が流れ、「水上機と陸上機を、近くで一緒に飛ばせる場所なので、県内外の愛好家に利用してもらいたい」と「四万十ラジコンクラブ」。自然再生事業の一環としてトンボやアカメの稚魚が育つ池などを整備し、その際に出た残土を利用して滑走路を完成させたという。(2004.4.9高新より) 2004年7月19日の高新を抜粋です。写真入5段。1府10県の50人四万十川河川敷で「第2回四万十川ラジコン水上機フェスティバル」、2日間、高知国体のボート競技会場として整備された河川敷。〜〜一人2回のフライングでは、垂直に飛行する「ナイフエ ッジ」や八の字を描きながら回転する「キューバンエイト」などを披露。〜〜時速60〜120kmのスピード。〜〜南国市の山崎卓さん(82)が7ヶ月かけて製作した翼長約5m、重さ60kg以上の水上機「赤とんぼ」〜〜機首が水中に沈み飛行失敗〜〜操縦担当の友人榎富朗さん(72)は「機体が直ればあしたこそ飛ばしちゃる」と意気ごんでいた。 2006.5.1高新 四万十市でフェス --ラジコン水上機80機舞う・2日間で約8,000人、垂直の状態で回転する「ローリングコブラ」や、いったん着水して不らラビ飛び立つ「タッチ・アンド・ゴー」など華麗なテクニックを疲労、---故山崎さんの「赤とんぼ<先年・失敗、今回成功>」(翼長5.8m、重さ約70キロ)、大きな8の字を描きながら約6分間、青空を(操縦は高知市で模型店経営の吉岡さん)優雅に舞った--
吾川村にヘリ離着陸場 高知県内には179箇所の離着陸ポイントがある。学校のグランドが指定されていることが多い。(土ぼこり小石が舞い機体を傷める危険)高知空港まで10分。2003/3/3 JALの関連会社ジェイエア(広島市)2001.4.1より、高知〜福岡。高知〜名古屋。小型ジェットCRJ200(50人乗)のテスト飛行。カナダ・ボンパルディア社製、26.7m、865km/h、航続3,045km(2001.1.15高新) 全日空グループは、15年秋をめどに高知〜伊丹線で、高速プロペラ機の運行を開始すると発表(2002.10.9高新)座席数74に減るが便数を2倍余の1日15往復に増便して全体の座席数を維持。カナダ・ボンバルディア社製のDHC(ダッシュ)8-400型、プロペラ機では最速の650km/hで巡航、現行のジェット機と所要時間はほとんど差はないという。2003.11.1就航。所要45分、1日5往復、来春は15往復まで増やす計画。 2005.8.4高新;福岡ー名古屋警告灯(前部乗降口開放)点灯。高知空港に緊急着陸。2005.6.17全日空高知ー大阪・機内に煙・その後油圧系統装置と電気系統に不具合。2005.9.3高新;福岡→大阪;燃料タンクのセンサー異常。2005.9.25高新:高知→大阪プロペラの角度を変える装置の異常を示す警告灯が点灯し、出発を取りやめた。2006.1.28高新車輪トラブルは油圧系に空気混入の製造ミスで、ジェット機並の速度と騒音の低さから国産のYS11お後継機として全日空や日航グループが導入を進めている。 2002.10.15高新 官民で国産初のジェット機開発へ 客席数30〜50 参加企業NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)を通じて募集 (プロペラ機のYS11は1974年生産中止) 2002.12.23高新 米航空ボーイングは「スピード」から「コスト」重視へ転換。次世代機は、燃料効率などをあげることで15%〜20%やしク運行でき、乗客を250人前後、2008年に1号機の引渡しを想定。 米軍低空飛行訓練ルート等9−5−1
北海道文化放送開局30周年記念特別番組” ノースポイント『翼』 ”WASSEDA Aviation Club ML 2002.11.15配信 フジテレビ系列28局ネット 2003年1月26日(日)16:05〜17:20放送 「祖母、母、子、親子3代の愛情と葛藤…、そして将来に向かって一歩を踏み出しかねてい女子高生・香織の心の成長を どこまでも続く北海道の青い空と滝川の雄大な大地を舞台に描いていきます。」
熱気球体験 地上40mの係留フライト 5分 \2,100 2001JTB時刻表 富良野市0167・22・1311 The Wings 熱気球 Group http://www.wings-group.com/rides/ 1974 高知大学グライダー部(誌) 編集後記にグライダー部のマーク、及び歌募集中 所載の写真;信濃山荘、クラブに乗用車が入った、名前はファミリア1200、木曽川滑空場に来年から参加するかもしれない、ハンググライダーのことを書き・最近「かもめのジョナサン」が人気(松田喜久男さん)、 部長 上田寿、コーチ教官 冨田哲郎、コーチウインチ 岡林光春、部員 前田浩二、福留睦子、小畠敏夫、音部洋輔、川渕祥一、松下大千、松田喜久男、村田彰三、松永健一、井上裕治、小野茂夫、(初代主将は小畠さんで1972年に部に昇格、2代は音部さん)
土佐和紙の飛行機:2秒飛んだ、「鳥人間コンテスト」への出場をめざしポリテクカレッジ(高知職業能力開発短期大学校)の学生たちがグライダーを試作。翼幅21m、35kg、主翼の接合部が折れた。2004.1.24高新 2004.2.19高知空港新滑走路使用開始(国土交通省四国地方整備局発表);2,500mに延伸;昭和62年知事表明から17年ぶりの再拡張。2,500m化記念、初のジャンボ機・米直行チャーター・ツアー、4月15〜20で5コース;定員300人;2月19日の半日で満席。これまでは、ボーイング767(270席)が最大・新滑走路では「777」(477席)・「747」(569席)可能、ロサンゼルス約10時間10分、ハワイ約7時間35分、シンガポール約6時間50分、パリ約12時間15分、 --同空港は旧海軍航空隊基地が前身。1954(昭和29年)民間の極東航空が高知ー大阪間に航路を開設。同航空は57年に全日空に吸収され1日2往復となる。当時の日章飛行場は1,200mの滑走路と700mの補助滑走路、航空局仮事務所、小さな旅客待合所があるだけだった。旅客の乗降、見送り、出迎えは、滑走路で行われていた。写真は’58年ごろの木造の待合所。同年「高知空港」と改称、翌’59年に新たな待合所も完成する---2003.11.13高新。2004年2月下旬 2,500m滑走路実現
高知県学生航空連盟 S.A.K. 会長 濱田幸雄 昭和38年 高知市追手筋 県立追手前高校内 副会長 垂水正行・益弘稔、 理事長 畠山邦夫、 常任理事 岡林敏行・田内正一・冨田哲郎、 理事 小松寿子・八波弘・蓼原康彦・吉松清・伊藤和義・三谷美松・鶴岡久雄・山本実・森下幸雄・宇賀文彦・吉村要・西森京市、 監事 福永建雄・矢野象一、顧問 西山亀七・山崎重明、 参与 山崎圭次・田中重喜・森準三・戸梶徳喜・小松一夫