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初飛行から100年



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米軍機の低空飛行訓練ルート グリーンルート(青森-福島-茨城)、ブラウン(中国山地)、ブルー(新潟-岐阜)、北方(東北・北海道)、イエロー(九州山地)、パープル(鹿児島→沖縄)、オレンジ(和歌山→高知→愛媛)、ピンク(山形→青森)など8つのルートが確認されていると言う訓練のない時間や曜日には民間機が飛行出来る空域もある(2001.4.3高新)。リムピースが調査した神奈川県厚木基地を離陸した空母キティホークの艦載機が国内6つの米軍低空訓練ルートを飛んだ回数は前年の5分の一弱、レーダーをかいくぐる低空からの攻撃は巡行ミサイルのトマホークで代替できると結論を出したのかもしれないと分析している。北方・パープル以外の6ルートで平成17年の回数は44回・うちオレンジは23回(前年の125回の18.4%)。リムピースは低空訓練の激減と対照的に、群馬県の浜川上空での急降下・急上昇の対地攻撃訓練は増えていると指摘している。2006.1.23高新。
2010.5.7高知新聞 2006年の在日米軍再編成最終報告・・米軍嘉手納基地の0F15訓練が07年3月以降、意図背
北海道)、三沢(青森)小松(石川)杵築(福岡)新田原(宮崎)などの航空自衛隊基地で1週間前後実施されてきた・・在沖縄海兵隊のうち、地上部隊は近年、07年度に日本原(岡山)矢臼別(北海道)、08年度は饗庭野(滋賀)岩手山(岩手)、09年度は関山(新潟)のかk自衛隊演習場で共同訓練を10日〜2週間程実施・・。

世界のバルーニストが集結する「SAGA」佐賀の国際大会 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ
1978年福岡県朝倉市(旧甘木市)ではじまったバルーンミーティングが、2年後の80年(80年11月23日、14機のバルーンが嘉瀬川河川敷から飛び立つ・・観客3万人・・)から開催場所を佐賀平野に移し協議会としての歴史をスタートさせた。佐賀平野は稲刈りシーズンが終わり11月下旬に麦が撒かれるまでの間は何も無い場所(360度何も無い場所がフライトエリアに適する
)、協議は気流が安定する早朝と夕方・天候に左右される・・。19種目在る協議は、そのほとんどが移動の速さを競うのではなく、一定の時間内で操縦の正確さを競う。ゴールであるターゲットへ向かってすき魯崎からバルーンで接近し、マーカーと呼ばれる砂袋を投下してターゲットと砂袋の距離で優劣を競う。

2007.10.24高知新聞 来月から東京上空遊覧 JTBは「ツェペリンNT」(独・ツェペリン社製、全長75m・現存する世界最大3機のなかの1機、定員8人)、埼玉県桶川市の基地から役1時間半で高度300〜600m都心上空周遊、11月23日〜1月5日、昼夜合わせて計104回のフライト予定。・・曜日や時間により126,000円〜168,000円。0120/680004JTB西日本EC営業部飛行船遊覧クルーズデスク。

2007.8.24 高知新聞 海上自衛隊「空母型」護衛艦が進水 「ひゅうが」最大級、ヘリ11機(ヘリ3機同時に発着)

2006.12.15高新 ホンダ・ジェット(ホンダの小型航空機)7人乗り、2010年を目途に米国の工場で年間70機程度で量産化医師予定、365万ドル、低燃費エンジン・機内にトイレ、受注100期を上回った。

A380 次世代超大型旅客機 フランス オール2階建て・最大840人・マッハ0.89 翼のカーボン材は日本製 ボーイング747より15m広く・5mほど高い 大型化で1席あたりのコストを下げる(米ボーイング社は中型機・小型機の需要が増大するとして160人〜300人の開発に力を注いでいる)2005.10.17高新

韓国で初の国産超音速空軍機 T50訓練機 07年までに94機導入 ソウル05.8.30共同

2005.6.15 高新 日仏で次世代超音速機開発・共同研究に合意、東京ーNY6時間、日本はこれまで経産省主導で超音速旅客機(SST)向けのマッハ5.5のエンジン実験に成功、日本の低騒音エンジンや軽くて丈夫な素材の製造コンコルドの開発実績の有るフランスと組んで次世代機の開発を目指す。
(コンコルドは英仏共同開発・マッハ2・騒音大きく航続距離短い・開発用の4機以外に16機生産された、2003年商業運航を終了、航続距離と騒音排ガスの削減が課題となった))

2005.6.14高新 新明和工業(宝塚市)がこれまで海自が使用してきた飛行艇(US-1Aを20機納入)の最新鋭機US−1A改を「パリ航空ショーに”出展”」
消防、救難用の多目的機として欧州各国に売り込むのが目的--飛行艇は武器には当たらずもともと禁輸の対象ではない---


全日空歴代制服を再現・スチュアデス人形2005年5月発売
10種類・フィギュアは高さ10cm・創業期から今年5月1日登場する最新のものまで再現・スティックタイプの機内用スープ1本と解説書、台座がセットになり価格は400円・0120・283606、海洋堂(門真市)制作。海洋堂の創始者宮脇さんは高知県大方町出身。

2005.2.22 高新 サンパウロ共同(本蔵一茂)世界初 アルコール飛行機量産 ブラジルのネイバは、農業用軽飛行機イパネマ(単発一人乗り)を航空機用ガソリンより価格の安いアルコールの一種エタノールをんwん料に使う私用に改良3月に発売。(ブラジルでは、航空機用の約4分の1と安くサトウキビから豊富に生産される)---をWUAC的MLへメールを送ったら---

嬉しい情報です。確かブラジルの航空機メーカーは戦後の日本技術移民たちが創立した会社だと思いました。 添付はブラジジル製のコミュータ、アメリカの妨害にも負けず、いま世界中で採用されています。 英連邦諸国空軍の初級練習機Tukanoもブラジル製です。


ワシントン2004.11.16共同 NASAは無人の極超音速実験機「X43A]の最終飛行実験をカリフォルニア州沖上空で世界最速のマッハ9.8(時速約11,200km/H)に成功。自力飛行10秒。
ジャンボジェット 約900km/H。 超音速旅客機コンコルド 約2,160km/H

<東京ーニューヨークを1時間>、大気中の酸素をじょうご形の通路を通じて圧縮、液体水素燃料と混ぜて燃やす「スクラムジェット」というエンジンを搭載。(液体酸素を積む必要がないた費用が安いという)。



 1903年12月7日ご前10時半すぎ 米ノースカロライナ州キティホークの砂丘でライト兄弟はフライヤー号で3m浮き12秒。同じ日に日行こう距離は約260mまで伸びた。 2003.12.19 高新(以下、引用)
第一次大戦当初英国の飛行機は272機だったが、18年には25,000機の増加・1927年には米国の飛行士リンドバーグの大西洋単独無着陸横断。39年からの第2次大戦では、B29や零戦、レーダーやジェットエンジンの導入・49年には世界初のジェット輸送機となった英国のコメットの初飛行。50年代には,座席数・速度が2倍近くになったボーイング707やダグラスDC8の登場。60年代はジェット機による』長距離飛行の時代。冷戦の頃には、ステルス技術の開発、米軍の2005年配備予定のF/A22ラプスターは超音速ステルス。冷戦構造はウチュウロケットのかいはつも導いた。
米アポロ11号が月面着陸した1969年「夢の超音速コンコルド」の初飛行。通常約7時間かかるロンドン、パリ、ニューヨーク間を3時間台で結んだ。数百人の輸送を可能にしたボーイング747(ジャンボ機)の初飛行も同じ年。
しかし、搭乗者数が少ないコンコルドが今年姿を消したように、70年代以降、航空機はスピードよりも大量輸送が主流となった。
ICAO(国際民間航空機関。188ヶ国・地域加盟)によると、2002年に航空機で移動した人は約16億人に及ぶ(共同=砂田浩孝)



関連URL
http://homepage1.nifty.com/Heliport-K/
http://homepage1.nifty.com/Heliport-K/or_chpr/index.html   ←ここで学習(感謝)
http://www.246.ne.jp/~heli-ss/special-top.html

-----ライト兄弟の初飛行から今年でちょうど百年。朝日新聞社はこれを記念してライト弟が飛んだ「ライトフライヤー1号機」の復元機を展示公開します。入場は無料す。復元機は、福岡市のグライダー団体・西日本航空協会が米国のスミソニアン博館から設計図をとりよせ、1年がかりで製作したもの。エンジンも搭載され、実際に飛ぶことができます。さらに展示に合わせて、本社本館・読者ホールで1月11日(日)午後2時から、小学校高学年から高校生を対象にした「こども航空教室」、同12日午後2時からは一般航空ファン向け「航空講演会」を開きます。こども航空教室は復元機を製作した西日本航空協会会長の前田建さんと本社航空部パイロットを講師に、ライトフライヤー号を題材にして「飛行機はなぜ飛ぶのか?」をわかりやすくお話しします。航空講演会には前田会長と東京大学大学院の鈴木真二教授(航空宇宙工学)を講師にお招きします。いずれも入場は無料で、募集人員は各180人です。参加を希望される方は、「こども航空教室希望」あるいは「航空講演会希望」と明記の上、住所・氏名・年齢・電話番号・希望人数を書いて、はがきでお申し込みください。小学生は保護者同伴とします。あて先は郵便番号104―8011 東京都中央区築地5―3―2 朝日新聞社航空部。折り返し入場券を発送いたします。定員を上回った場合には抽選となりますのでご了承くださ----



わが国で初めて 動力飛行機を飛ばした 二宮忠八

1866年慶応2年)6月9日八幡浜で4男として出生
13歳のとき父親死亡・様々な職につき、夜は国学・漢学・南画を学ぶ。学資作りの凧作りは色・形・用途による工夫とアイディア。丸亀連帯に入営・上等兵・携帯食を狙うカラスの群れを見て非行のヒントを得、研究。1891年舟のスクリューにヒントを得て、プロペラ・3つの車輪・聴診器のゴム管を細かく切り動力とした・4月29日;5間(約10m)から30m程度を飛行。この年、6月20日・松山出身の深見寿世を妻に迎えている。

明治24年4月29日ライト兄弟の飛行実験に先駆けること12年
毎年4月29日には記念飛行大会開催
斐光園(ひこうえん)は、帝国飛行協会からの「斐々有光」にちなみ名づけられた公園。斐とは、あやがある様、隠れて表面に現れない美しさを示す言葉。


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