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おんちゃん会(3-8.htm)   おんちゃん会2009〜(3-6.htm)


設立前後fc2、3-7.htm)=おんちゃん会設立前後のメモの続き
 前頁3-9.htm  同(次頁・3010.htm)


この頁は設立前後のメモ・おんちゃんタイムスから転載(fc2、3-8.htm)
(工事中)

昭和54年10月20日第2号 ・・・ わが青春! 土佐寮時代! 35年卒業生・中小企業診断士 市原樟夫
昭和35年3月。私は土佐寮大学・社会学部・人間学科を卒業した。今もって中欧大学・第一法学部・法律学科を卒業したという実感はない。それほどまでに土佐寮時代は、私の人間性に大きな影響を与え、人格態度の改造を行なって、ひよわな「土佐高生・坊ちゃん」を一人前の男としてたくましく育ててくれた。
もし、「感謝」という言葉を使わなければならないとしたら、それは文句なしに「土佐寮生のすべて」に対して捧げられるべきだと、いつも思っている。まさに、「土佐寮スピリッツ」こそは、私が手にすることのできた愛代の財産であり、ファイトとエネルギーの源泉であり、世の荒波を乗りきるための最も貴重な武器の一つとして、きわめて大きな意義を持っている。
もし、あのとき土佐寮大学に入学していなかったら、今の私は在り得なかっただろうし、それだけに4年間の土佐寮生活は、私の人生にとって掌中の珠としての意味が深い。いつ思い返しても土佐寮時代は、苦しい中にも希望に満ち溢れ、あの頃に思いを馳せるだけで、人生はバラ色となり、新しい勇気と活力とが蘇えってくる。
考えてみれば、ずいぶんと色々のことを教えられたものだが、しかい一番の宝は、「喧嘩心とクドキ心と遊び心」を身につまされた形で学び取ったことだ。正直いって土佐寮こそは、私の人生の原点であり出発点そのものだといわねばならない。
思い起こせば、いろんなことがあった。それは一言で言えば、「酒と女とバクチとアルバイトと、そして失敗の連続であり、大いに学問を学んだという実感はさらさらない。そいう腹をぶち割った生身の付き合いがあったればこそ、今だに土佐寮のオンチャン各位と裸の付き合いができようというものだ。
「先輩の怖かった時代の土佐寮、例会の時には学生服を着てキチンと正座させられた時代の土佐寮、多摩川上水に身投げの続いた時代の土佐寮、三鷹に赤線のあった時代の土佐寮、吉祥寺のテキヤ=石家一家と出入りを続けていた時代の土佐寮、寮生20数名当時のみんなが穴兄弟だった時代の土佐寮、音体の女の子とフンダンンにアオカンのできた時代の土佐寮、いつも米屋と八百屋に借金のあった時代の土佐寮、中須のおばさんの献身的な犠牲のうえに支えられていた時代の土佐寮、完全な自治寮として我ら一人一人が寮運営に参画していた時代の土佐寮、初めての寮則制定を命じられた時代の土佐寮、残飯をいためソースをかけただけの喰い物がとても旨かった時代の土佐寮、風呂場からイリイリイ・イリイリイと吠えることが出来た時代の土佐寮、チンポの品評会が許されていた時代の土佐寮、女の口説き方とインコの仕方を手にとってkしえ教えられた時代の土佐寮、先輩に女をオゴラレた時代の土佐寮、金はないが時間だけは有り余った時代の土佐寮、資材置き場での盗みがナゼか大目に見られていた時代の土佐寮、調理師と第一級バーテンダーの修業ができた時代の土佐寮、債権と債務の違いがドウシテモわからなかった時代の土佐寮、井の頭公園を背にヤクザと喧嘩の絶えなかった時代の土佐寮、チンポ力と心意気だけをカタにママチャンたちを征服していった時代の土佐寮、ドスを片手に独特のケンカ殺法を編み出させた時代の土佐寮、俺はアルカポネだと本当に思っていた時代の土佐寮、マンボにリーゼントにダスターコートを肩に颯爽と歩けた時代の土佐寮、ジャズとロカビリーにウツツをぬかせた次代の土佐寮、ダンスがホントにウマイと実感できた時代の土佐寮、そのくせ学問的雰囲気にもナゼカ憧れていた時代の土佐寮、・・・等々」確かに私は、あの時代、青春のマッタダナカにいたのだと思う。あれから20年、当時の紅顔の美少年・アルカポネも、いまや41歳・企業戦争の第一線にあって、毎日が戦いの連続である。そして常に土佐寮スピリットを心に秘めて、今また新たなる変身を遂げようとしている。16年間御県庁生活に別れを告げ、本格的な経営コンサルタントとして道に、己自身の才覚をかけようと決意したのだ。意思決定のもとになったのは、ただただ、「土佐寮スピリット」しかない。
今、イチハラクスオ、県庁に最後のご奉公をする傍ら、「大型店対応作戦(中の商店は、大型店とどう喧嘩するか?)」の執筆に取り組んでいる。
「東京、三鷹、井の頭公園・・・。土佐寮ではいつも新しい動きが起こる!」(昭和54年10月1日記)10月一杯は高知県庁中小企業指導室に勤務。12月からは、(株)日本マーケティング・センター東京事務所勤務。東京でのイチハラクスオ事務所は、〒150渋谷区道玄坂2−29−2ライオンズマンション415号室。今後とも、よろしく御願いします。

和54年10月20日第2号 現役寮生に感謝贈呈
本会幹事、珍々亭主人・長崎俊太君市の長男・桃太郎君(2歳)が、昨春生後8ヶ月で水腎症という病気で地元でいったん手術をしたものの経過がおもわしくなく、あらためて東京・順天堂医大付属病院で尿管形成手術を要することとなりました。手術に際し、多量の新鮮地を要するものの、大都会の中格別の知り合いもなく、途方にくれた氏は一時は街頭で呼びかけることまで考えたということです。
土佐寮の存在を思い起こした氏が、最後の頼みの綱としていょうを訪れ、血液提供を懇請したところ、即座に10数名の現役寮生諸君が申し出られたということで、おかげで桃太郎君は無事手術を了え、快癒するに至りました。
長崎氏は「単に昔、寮生だったというだけの縁であんなに快く献血してくれたことは、自分にとっては、まさに地獄に仏の思いであっ」と、未だに感謝の念でいっぱいです。
話を伝えきいたわれわれOB一同としても、他人事でなく、まことに嬉しく、感激させられたことでした。おんちゃん会としましては、本年2月、谷村会長自筆の感謝状を贈り、気持ちの一端を表したところですが、本日あらためて会員の皆様に御披露し、今後とも老壮青の三結合と土佐寮おんちゃん会の靭帯強化を念ずるしだいです。

昭和55年10月18日第3号・・・おんちゃん会開催予定 日時・場所を当分固定 昭和52年10月、申請「tosarixyouおんちゃん会」として発足以来早くも第4回目の総会を盛会裏に迎えることが出来ましたことをともに喜び合いたい思います。幹事会では今までの経験を踏まえ、次回以降当面の間、10月第3土曜日、午後6時おり、堺町「魚竹ほんてん」で総会を開催することになりました。来年も再来年もよろしく御願いします。・・・。


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