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安芸中高正門銘板

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旧安芸高校(生協HP)  2013年以降ポータル 安芸高校3期生同級会 3期生往時の級写真 安芸高校3期生同級会3
(同級会4頁)2010年度安芸高校新聞等 母校 HP 旧制安芸中や東京妙見会 2011年度→2012以降
  平成5年前後の3期生と同9年十国峠旅行等写真コピー   

2008.6.28 理事会 (案)総会7月最終土曜日、名簿作成(10年に1回作成・前回は平成11年ゆえに21年作成発行、高知県立安芸高等学校定時制の碑建立(定時制夜間部<昭和31年課程設置・平成21年3月定時制課程廃止・卒業生数497名予定、笹原先生の像の東方向に予定>

2008.5.27高知新聞 安芸高等女学校昭和18年度入学制が26日、土佐ロイヤルホテルで30回目の同窓会を開いた、・・35人集まった・・約60年がち恒例化などのため「今回で最後」と決めている・・恩師の野島昌子さん(82)も出席し・・。

2008.2.3 高知新聞 安芸高校1年生 亀川さん 全国高校英作文コンテスト最優秀(文部科学大臣奨励賞受賞
1年生の課題は「(未来の夢) My dream for the Future」・・亀川さんは「世界平和が全人類の夢」としたうえで、世界規模の「大きな平和」と、身近な人々の「小さな平和」について・・「インターネットの「1円募金」・・「大小の平和をつなぐ活動を考え、かかわることが私の未来の夢」・・。
 

2007.8.30高知新聞 安芸高野球部が90周年、99日松山東高、高知東高を招き招待試合。招待校は「文武両道」を掲げる高校から日程が調整できた2校に決まった。

安芸校野球部は、大正6年創部、昭和38年の秋季四国大会準優勝し翌春のセンバツ甲子園大会初出場で1勝。

2007.5.21高知新聞 3段 海岸清掃に汗を流す安芸中高生(安芸市清和町) 毎年、県体育大会にあわせて行っており、体育系の高校クラブ員は大会に、中学生や文化系クラブなどの生徒は清掃活動にそれぞれ汗を流すこととしている。・・約1時間半の作業で学校周辺のごみはあらかたなくなり・・。

20069.12高新 高知新聞創刊100周年事業「高校生海外派遣」安芸高校3年小松靖典君マングローブ植樹で写真入の記事--『種はまるで細長い枝、その細長い種を1m間隔で土に差し込んでいく私の植えた数十本の種が将来、立派な枝や根を持ち、沢山の種を落とすような大木になったとき、私自身もマングローブに負けないぐらいの人間的成長をしていたいと思います--。』
2006.9.10 高新 県文教協会 3高校文化部に奨励賞 安芸高校書道部は全日本学生書道展団体で4年連続優勝

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平成20年6月3〜4日第3期生同窓会(56周年)静岡県下田市白浜「ホテル伊豆急」
高知龍馬空港ー羽田空港ー横浜駅ー昼食ー熱海ー伊東ー下田泊。河津町ー天城峠ー箱根関所跡(芦ノ湖)−早川ー新横浜駅ー羽田空港ー高知龍馬空港(20;25)申し込み:5月2日締め切り
3期生同級会平成18年6月10日(土)11日(日)
1日目 受付は12時20分 昼食 → 
母校にて、岡崎先生の50分授業・10分休み・野島先生の50分授業 → 午後5時 から懇親会。
2日目 
安芸の浜で地曳き網見学 →安芸広域メルトセンター →書道美術館 →地曳網で捕れたドロメをホテルに持ち込んで昼食(ドロメは天候で変更)
世話人の言に曰く「里帰り同窓会・50余年前にタイムスリップ・伊尾木川の鮎も今解禁の古里へ---」

Subject: 第三回卒業生の皆様の結束に感動をいただきました
 引用 
> ○ ○ 知 ○ 様 > >  このたびの皆様方の熱い、熱いつながりに、私たちの方こそ、感激をいただきまし > た。「懐かしい母校で当時の授業を再現したい。」 ・ ・ ・ ・ 植田様、池田 > 様、 > 多田様の三氏が何度も学校に足を運んでくださって熱心に準備をなさるその姿に、羨 > 望のようなものさえ感じました。 >  当日の皆様の、楽しそうで幸せそうだったこと!(失礼を承知で)安芸にもどられ > て、安芸校に立って、童心に戻られたかのうなことばが飛び交う様子のすばらしい > こと! 私たちもずいぶん楽しい気持ちを分けて頂きました。 >  吹奏楽部の出演に喜んで頂けたこと、大変ありがたく思っています。実は、経験豊 富な3年生が退き、新しく始めた中学1年生、高校1年生が入ったところで、あまり,> 人前で披露できるレベルに達していないことゆえ、心配もあったのです。しかしなが > ら、在校生が場面を共有させていただくこと、校歌や童謡で時間を共有させていただ > くことに大きな意味があると思い、顧問を激励したことでした。 >  私も童謡は大好きで、実は、声に出せないくらい感動しておりました。 > >  実は、あの演奏のあと、一人の部員の保護者からお葉書をいただきました。その葉書にはこうありました。 > ・ ・ ・ ・ ・ 帰ってきて娘が言うことです。ずいぶんとお粗末な演奏に、スタン ディングオーベンションで大変喜んでくださったものの、娘は、この演奏が満足でき > ず情けないのと卒業生に悪いのとで泣けてしまったようです。最後、退場するまで > 「よかった、よかった、ありがとう。」と感激されて申し訳なかったと言います。ま > た、卒業生の歌の上手なのに驚き、感動し、充実した一日だったようです。この話を 聞いて私も感動しました。このような機会を与えてくださったことに感謝しておりま > す。 ・ ・ ・ ・ ・ ・
>  生徒の方こそ、たくさんの感動をいただいたと思います。彼らは、夏のコンクール > に向けて、今一生懸命練習を重ねておりますが、このたびいただいた感動は、今後の > 彼らの演奏に必ずやにじみ出てくることになると信じております。 > >  演奏した生徒の声をお伝えしたくなって、長いメールを打ちました。今後とも、また> たご支援をお願いいたします。 >  皆様方のご健勝を心から祈念いたしております。 > >        
県立安芸中・高等学校 > 森 暁   校長先生からのお便り等を無断でしたがのちのなごりに留め置くためにあえてアップしているしだいですーー。

幹事から「東松山在住の有沢久作君からの「また会える日を楽しみに お元気で」の便りの一部ご披露;--「時は 今を刻み 未来へと進む いや そうではない どーん どどどどどー 竜馬空港での 飛行機の第一声 その瞬間 時は とてつもないスピードで 過去に逆回転 聴いた 飲んだ 鯨 鯨 鯨 鯨飲  喋った  笑った  観た ----。」幹事から、多田君からの写真も届きました。集合写真とあわせて後日UPします」2006.7.10

高知県立安芸中高徽章
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高知県立
安芸高校の同窓会名簿が完成しました
2頁めに、西澤会長さんの巻頭言があります。『〜同窓会名簿は永遠に完成いたしません。絶えず一方で過ぎ去ってゆく物があり、他方で参入する者があるからです。だからこそ生きているとも言えます。この名簿が同窓生相互の上下左右の交わりの縁となることをきたいし、かつ祈っております。』とあります。

安芸高校(新制高校)の校歌 昭和26年4月 横山青蛾作詞・平井耕三郎(保喜)
松かげ清く地にしくところ 吹きすぐる 風はゆする
若き日の希望の夢を
たらちねの母のみ歌か 楽しやさし松風の歌か 
ほのぼぼと 夢はけむる 心のゆりかご あー なつかしの 我が母校 
 <心の青空、心の花園、あー なつかしの 我が母校>

壮行歌 昭和21年〜27年 よく歌われた 
水、紺碧の球をなす  太平洋の荒潮を 朝に望む雄渾の  ああ、雄渾の理想郷
白雲悠々、妙見の 峰ゆくところ溌剌と 精気のみつる芸陽の ああ、芸陽の別天地
正々堂々、 意気高く たたかうところ燦然と 栄冠われに輝かん いざゆけ友よ わが選手

安芸中新校歌 昭和4年4月 小松耕輔作曲・作詞 不詳
妙見山の朝風に 心も清き若人が かざすほこりの旗じるし 見よ見よ靡かぬ物なきを
「努力剛健」「努力剛健」 芸中健児のその矜(ほこり)
<芸中堅健児のその叫び、その望み>

18年6月同窓会での見学先「安芸メルトセンター(80t/日×2炉)平成15年〜平成18年3月工期」芸西村〜東洋町の広域の廃棄物を高温ガス化直接溶融システム:いわば溶鉱炉・無公害のスラグ、メタルに変えて資源化・溶融飛灰も山本還元・ごみ発電(余熱利用の1700kw)

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郷土詩人で恩師 横山青娥をしのぶ 2001.1.19高新
 声ひろば
「忘れられた郷土詩人」にこの世の光が当たっている。ミニ企画「横山青娥展」をご紹介したい。私たちは安芸高校2年の秋、共学を機にご縁ができ、古典の学識や晴朗な音読に魅せられつつご指導を戴いた。通称トラさんは、体もよく動き労をいとわぬ先生で、生徒の群れの中に入り、生徒を資料提供者にできた人。「私のことを特別に心配してくれている」と各人に思わせる人心収攬術を心得ておられた。
人間存在の寂しさを悟ってもおられた先生の教えは「幸福は砂金のごとく小さくとも得がたきものぞおろそかにすな」に収斂されると思う。
憂愁、感傷、厭世を通底としながら、さわやかな青春性で師の八十とも違う静謐な内面宇宙をつくり、詩人としても認められていた先生だが、再上京後は自由詩から放たれ、日本固有の韻律の世界へ回帰された。
短歌で10万首、俳句もあまねく、と記されている息の長い研究は「日本の詩歌の形態学的研究」の一冊に結晶する。緻密で明晰な頭脳を見える形にするとこんなものか。国学者としてやるべきほどのことはやったと安堵されたに違いない。花の女子大生に囲まれても、奥様亡き後の孤独は、書き中毒になって埋めるほかなく、「一年一冊目標で79冊、もう増えないよ」とひょうひょうといわれ、ご自身の決めていた死亡年月日に限りなく近き日、この世を去った.。
死の数ヶ月前に届いた小冊子「軒荵」の結びに一首。
そっぽむきがちな人へ「読まれざる書(ふみ)かき続けわが生(よ)いま尽きなんとする哀れと懐(おも)へ」〔森 美沢=68歳・主婦、須崎市中町2-1-17〕
2004.12.12高新(4段・写真入) 横山青蛾の足跡紹介 来月30日(2005.1.30)まで安芸市歴史民族館 評論、童謡など200点
安芸市出身の詩人で、国文学者としても活躍---郷愁の詩人---本名横山信寿=明治34年安芸町に生まれた。早稲田大高等学院に入学して、西条八十に師事して詩壇に登場--昭和20年空襲を酒帰郷。母校安芸高で教壇に立ち、同校の校歌も作詞。土佐詩人協会の結成(21年)にあたり初代会長就任、高知新聞の俳壇の選者となるなど郷土詩壇の発展に尽力。26年銃田旅上京し、古典文学や詩歌など数多く著したが56年、75歳で死去---金子みすずの才能をいちはやく認めて紹介した著作「日本同様十講」など計200点を展示---安芸高時代の授業風景の写真や、李白や杜甫の監視を邦訳したコーナーもあり---

昭和21年 福重猛治校長、23年 山本勝重校長、24年 甲藤松治校長、 

平成14年4月県立安芸中学校(仮称)開校【中高一貫教育】
創立記念行事・生徒総会・学校参観・懇談会・ホームマッチ・文化祭・体育祭・芸術鑑賞会・マラソン大会などは、高校と共催
1学年2学級80名の規模



平井康三郎リンク集


同窓会発行(創立100周年記念誌)会員名簿からのコピーです、2011.2.23











高知県立安芸中学校応援歌 


1、正義の流れ 威武の剣(けん) 築き上げにし 常勝の 誉れを永久に(とはに) 残さんと
春風秋雨(しゅんぷうしゅうう) たゆみなく剣(つるぎ)磨きし 甲斐ありて 功し(いさおし)たつる 時は来ぬ

2、紅燃ゆる 高坂(たかさか)の 古城に秋の 風寒く 戦雲急を 告ぐる秋(とき) 見よ東海の彼方より
霞に紛う(まがう) 砂煙り 蹴立てて進む 安芸の軍

3、竜虎深山(みやま)に挑むとき 草木(くさき)もなびき伏す如く 我 若し ひとたび 矛とりて
鼓を打ちて 襲いなば 雲霞の如き 猛勢(もうせい)も 蹄(ひずめ)のもとに 蹴散らさん

4、ああ、時熟し 意気あがり 征馬は高く嘶き(いななき)て 若き男子(おのこ)の血は燃ゆる
起つべき秋(とき)は 今なるぞ 勝つべき秋(とき)は 今なるぞ さらば いざ行け 我が選手


高知県立安芸中学校壮行歌   作詞 川 田 豊 徳  作曲 西 田 勝 吉

1、明(あした)に望む 太平洋  碧水砕け 花と散る  常盤の松の 緑濃く 秀麗極む 理想郷

2、夕べに仰ぐ 妙見山  白雲かかる 秀峰の 高きが我の 誇りぞと  覇気にぞあふるる 安芸の郷

3、ああ、敗残の幾星霜 征途の駒は 嘶きて  中原の野を 駆(は)せたれど 壮途は遂に成らざりき

4、泪をのんで地に潜む この断腸のいくとせ)を 今勝たずんば何時の日か 如何で凱歌をあぐる可き

5、報いの戦 ありと聞き  恨みに燃ゆる 若人が 高鳴る胸の 紅き血に 骨鳴り 肉は 躍るかな

6、5百の健児 ここに起ち 必勝期する 選手らの 行く手の幸を 祈るなり いざ行けさらば我が友よ
いざ行け さらば 我が友よ


高知県立安芸高等学校応援歌 作詞 高 石 次 郎  作曲 武 政 英 作

1、はてなくあおき 空と海  ひかりあふるる 南海に 歴史もふるき 安芸高の 旗さんぜんと ここにあり

2、雲湧きあがり 風さわぎ たたかわんかな 時来る  芸陽の子が 矛とりて 起てばたかんる 若き胸

3、黒汐しぶく 岩頭に 南めい目指す わしのごと 安芸伝統の 名にかけて 羽ばたけ つよくたくましく

4、萬里の波濤 うちよせて 松らいさやかに なるところ  安芸高健児が栄光の 勝利をうたうときぞ今
(安芸高  々々々  々々々)  々々々 エイオー

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2005.1.1.24高新 「10分」の積み重ね 生徒の62%「楽しい」 安芸中学校(高知県立)は創立3年目。併設する安芸高校が続けてきた「朝の読書」を創立当初から導入---午前8時35分からの10分間---

http://www.kochinet.ed.jp/kenaki-jh/guide.html
安芸高等学校ホームページ


安芸高校将棋部生徒3人、2001年8月の全国高校将棋選手権大会で男子団体の部で3位になった。このうち3年生が2人なので、「このままでは練習もままならない」と仲間入りを呼びかけている。2001.9.13高新

高知県立安芸高校2000年が100周年でした。第3期生は、90人参集しました。

安芸高校 創立100周年、記念碑 
人と生まれた ゆえを思え 
徳と知識の探求ぞ 

 
ダンテ「神曲」より      2000.10.21
卒業生数 2,496

安芸中学 2,528

安芸高校 15,941

総合計数 20,965
  (2000年)


記念事業実行委員会会長   西澤邦輔氏   あいさつ

19世紀最後の年に旧制安芸中学が県東半部における唯一の中等学校として,20年後には旧制安芸高等女学校が同様芸東唯一の女子中等教育機関として、郷党の絶大な期待を担って誕生し、戦後両校が合併して新制高等学校として再生してからでさえすでに半世紀を超えました。この学舎が今日に至るまでの使命を果たすことができましたのは、ひとえに地域の公私の方々から陰に陽にご声援ご支援を賜りましたお陰であります。先ずは皆様に心から御礼申し上げます。

100年の歴史を顧みて先ずその僥倖に感激することは、この僻遠草莽の地に創立以来絶えず、県内外から学徳高き先生方が与えられたことであります。埋蔵されていた人的資源は山間海畔より掘り出されて磨かれ,後へ続く者への重量的刺激となり、蒔かれた文化の種は様々に変貌変形しつつ地域一般の人々の中にまで浸透成長を続けてまいりました。安芸高校が20世紀と共に歩んだ教育の役割と経験は必ずや大いなる教育的資産となりましょう。

この機会を皆様と共に喜びたいと思います。そうして、追憶のよすがとしてのみならず、希望に羽ばたく合図として受け取りたいと思います。感謝と共に。
<平成12年10月18日(高知新聞広告より転載)>



併設中学校の同級生合計374名。学制改革により、母校には6年通学。いまにいう中高一貫教育であった。男女共学になったのは昭和24年8月である。

1946年入学当初は、2本の白線の戦闘帽に足なか草履で、半年ほどは道路で先輩に出会うときには挙手の礼であった。このことは、ああ僕は中学生になったのだという、なにか新鮮なたいけんとして記憶している。(帽子は高校になり現行の校章に変わった。。丸帽子に2本の白線を巻き、卒業まで全員がかぶった。腰には手ぬぐいをぶら下げた。当然の事ながら、男子は全員丸刈りであった)陸軍払い下げの背嚢が1円であった。真四角の形で、中に木の枠が入っていた。ワラ草履(昭和23年頃にはサシバの下駄が流行した)に布製のジャンパー軍服、半ズボン、長ズボン等々--思い思いの装束で通学した。進駐軍の学校駐屯や、天皇陛下のご行幸(昭和25年)も記憶に新しい

東門からはいると講堂があり(門のすぐ東にカツオ節やテンプラを売っているお店があった)音楽の授業や舞台発表、アセンブリの集会が行われた。長椅子で西を向いて座る。東が高く西に低いかなりの傾斜のある床で,東方が2階になっており、てすりがついた幅4m程のスペースがあって、長椅子もあったしスポット照明器具を持ち込むこともあった。1階をまえの方へ南北にわかれて西へ進み、講堂を出て、渡り廊下を歩くと南北に長い歩廊に突き当たる。今の正面玄関から南へ吹き通しの廊下の原型である。その三叉路には東向いて読む掲示板があり(北側に来賓便所)歩廊の西側がテニスコート、その西に雨天体操場、さらに西側はグランドであった。

講堂、テニスコートの南側には特別教室があって、1階は東から物理教室、物理準備室、地学準備室、化学準備室、化学教室等であった。化学の先生は畠中秀雄先生(安芸市の野良時計のご当主)、物理部の顧問の先生はあとでお話を申し上げる吉浦正武先生。ついで近藤先生、小原先生と6年間に3人の先生が順次に教えてくださった。2階には社会科、美術室、生物教室があった。

旧制安芸中学校南端の東西にのびる木造棟はは1階建てで4教室ほどあった。東の端の教室は床がギーコギーコ上下に揺れていた。もとは格技場であったとのことであった。この教室に相撲場、西のほうには南北に長いプールがあった。プールの北側は雨天体操場である。(当時は体育館とはよばなかった。)床はたしかセメントであった。県体前の校歌応援歌,壮行歌等の練習は先輩に指示され両手間隔に整列し大声でシャケルように歌った。皆、3番4番と最後までメモなしで歌うことが出来た。

運動会の時のトランペット(拡声器、ラッパ)は、この体操場の屋上(屋根)に取り付けた。生徒はひがしむいて整列した。東向いて右の方に「ロクボク」、真後ろにの西門のところに「鉄棒と砂場」があった。西門のそとは校長官舎に寄宿舎である。現在は、プール・テニスコートになっている



金子みすずのドラマに感動 高新2001.9.3 声 ひろば 井上孝夫 77歳
〜師の西条八十に会ったのは昭和3年下関〜みすずの才能にいち早く注目したのは、
安芸市出身の詩人で国文学者の故・横山青娥。昭和4年刊の著、「日本同様十講」で「此処に最も注目すべき存在は、女流としてつとに輝く天分のひらめきを見せている金子みしずの名であろう。その空想の飛躍するところ、女性特有の繊細さをもって、時に誰れ人の追随をも許さぬていの傑作を発表している」とたかく評価しているのである。近年になって、みすず関係の本が数多く出回っているが、青娥がみすずの才能を早々と見抜いていたのを、誰も記していないのは残念である〜


1990年 母校安芸高校に奉職おり、文化祭の活動に「私の青春時代に出会った本」の特集があった。
「ラジオ技術教科書」「クオ・ヴァディス」の2冊を現物を添え展示した。

最近の状況に移してみると、「パソコンのプログラム作り」もしくは「電子工作ホビー」というようなことになるのだろうか。職業学科では学校で習えるけれども、普通科生は「本」で独習する。15〜20ほどのベーシックなどの言語を覚えて他人のプログラムを走らせ、すこしずつ変えながら理解し身につけてゆけば、2〜3時間はあっという間というように没頭できる程の楽しみを経験できるはずである。

「クオ ヴァディス ドミネ」。ドミネはキリスト、クオヴァディスは何処へ?とのことで、つまり「主よ、何処に行き給う。」の呼びかけで閉じるローマ時代の物語。たしか美しい奴隷女リディアがペテロニュースであったか、ヴィニキウスであったか護民官の彼に、地面に魚の形を描き示す情景を、50年後の今も思い出せる。
同時に、イクトスというのは、イエス・キリスト、神の子、救世主の頭文字を集めると『魚』の意味の語になるとかで、カタコームで隠れるように求道した当時の人々の隠語というようなことも。
ローマの歴史やヘレニズムを読み込むことの出来る名著。長編。宗教書ではない。

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